8月24日、全国唯一の特定危険指定暴力団である「工藤会」トップの野村悟被告(74)、ナンバー2の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告(65)の判決公判が福岡地裁101号法廷であった。市民襲撃の4つの事件で殺人などの罪に問われており、野村被告には死刑、田上被告には無期懲役が言い渡された。
かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれ、工藤会が牛耳った福岡県北九州市。しかし、福岡県警による相次ぐトップ検挙により、屋台骨はぐらつき始めた。現場を指揮した元刑事が「倶楽部ぼおるど襲撃事件」の全貌を明らかにしたのが「県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実」(文春新書)だ。同書の内容を抜粋した記事を再公開する。(全4回の2回目。#1、#3、#4を読む)
(初出:2020/05/20、日付、年齢、肩書きなどは当時のまま)
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1年間で7件の銃撃事件
「ぼおるど事件」があった平成15年中、福岡県内で工藤會による発砲事件は福岡地区で発生した1件で、捜査第四課福岡地区班が検挙してくれた。県警内には、一連の一斉摘発により、工藤會の活動を封じ込めているという意見があった。だが私は、封じ込めているのではなく、工藤會側が発砲や襲撃の必要性を感じていないだけではないかと思っていた。
恐れていたとおり、翌平成16年は状況が一変した。県内で工藤會による発砲事件が7件発生したのだ。県警はうち3件を検挙し、残り4件についても容疑者は特定している。田上組長が出所し、建設業への利権拡大を図る中、工藤會の意に沿わない相手を脅すことを狙った事件だった。
実行犯はもちろん、通常、彼らが口をつぐんで守ろうとする事件の指揮者まで逮捕に至っており、暴力団による事件の指揮系統などがよくわかる事例なので、詳しく紹介しようと思う。なお捜査の概要については、既に公判で明らかになっているが、登場する関係者は他の未検挙事件にも関係しているので仮名にしている。
原因も動機もわからず
平成16年1月25日午前2時ごろ、北九州市小倉南区で北九州市議会議長宅に拳銃弾3発が撃ち込まれた。一発は寝ていた家族の枕元、1メートルほどの壁に当たっていた。もし銃声に驚いて起き上がっていれば、弾が命中した可能性もあった。
4月18日午前3時ごろ、小倉北区のパチンコ店経営者宅に、5月21日午前3時過ぎ、同じく小倉北区で、福岡県議会議員の自宅に拳銃弾が撃ち込まれた。
6月22日午前0時45分ごろ小倉南区の建設会社に、27日午前1時15分ごろ小倉北区のゼネコン北九州営業所に、翌28日午前4時ごろには小倉北区の洋服店に拳銃弾が撃ち込まれた。立て続けの銃撃事件に、新聞・テレビの論調も福岡県警に対して厳しさを増してきた。そして9月1日午前0時50分ごろ、戸畑区内の大手物流会社支店に拳銃弾が撃ち込まれた。
いずれの事件も工藤會の犯行と推測された。しかし最初のうちは、その原因、動機が皆目わからず、工藤會のどの傘下組織が実行したのかも特定できなかった。
その中で、2番目に起こったパチンコ店経営者宅への発砲事件については、ある組に対する容疑が強まっていた。このパチンコ店の系列店が、6月、筑豊地区の宮田町(現・宮若市)にオープンすることになっており、地元の工藤會I組組長(当時64)が経営者に対して面会を要求したが、経営者側が断固として断っていたのだ。
ただ、I組は組員も数名しかおらず、しかも若頭以下組員全員を前年、中国エステ放火事件などで検挙していた。組長しか残っていなかったので、自らパチンコ店経営者に面会を強要したようである。しかし仮にも組長クラスが自ら銃撃事件を起こすとは考えられなかった。