池上の取調べはT班のO係長とI巡査部長が担当した。2人とも池上は「まだひねくれていない」と考えていた。池上の母親と姉の相談にも親身に対応した。母親たちは池上を暴力団から離脱させたいと思っていた。
池上も、徐々にO係長やI巡査部長に心を開いてきた。暴行事件についても素直に自供していた。暴行事件が起訴されたのを機に、池上は組が付けていた弁護士を解任し、母親たちが依頼した弁護士を選任した。池上は工藤會を離脱した。
発砲事件について供述
池上は暴行事件の起訴後、発砲事件についても知っている限りのことを供述してくれた。
6月27日、池上は前日からF組の当番についていた。同じF組の横田敦(仮名・当時19)も当番だった。午前2時ごろ、兄貴分の長杉研一(仮名・当時28)から電話があり「急いで来い。親分の用事ぞ」と長杉の家に呼び出された。駆けつけると、長杉から家の近くに停めていたスポーツタイプの白い乗用車を処分するので手伝うよう命じられた。ところが慣れない車だったので、駐車場所から出る際、ブロック塀で車の左後部をこすってしまった。
途中、小倉南区のマンション駐車場で消火器2本を盗み、車が遺棄された現場まで運転していった。長杉から命じられるまま、車の中に消火器の消火剤を振りまいた。
車の中には長杉が発砲事件の犯行時に使用していた軍手があった。長杉から別の場所で処分するよういわれ、事務所に戻る途中、側溝の隙間から中に捨てた。
また、車を乗り捨てて帰ろうとしたとき、長杉が自分のルイ・ヴィトンの煙草入れがないと慌てていたことも供述した。池上は、長杉を自宅に送る途中、長杉から発砲事件の状況も聞かされていた。
ルイ・ヴィトンの煙草入れは、鑑識活動の際、遺棄車両の助手席シートとドアの隙間から発見されていた。消火器の盗難も裏が取れた。長杉宅近くのブロック塀に真新しい傷跡があった。遺棄車両の左後部の傷と一致した。
軍手を遺棄したのは、小倉南区の市道横の側溝だった。側溝には重たいコンクリートの蓋がはめられていた。市職員に立ち会ってもらい、確認すると隙間から軍手らしきものが見えた。市職員が道具を使って蓋を持ち上げると、池上の供述どおり、両方とも丸めた状態で一双の軍手が遺留されていた。
取調官の熱意と誠意
暴力団事件の捜査であろうと、他の事件の捜査であろうと、犯人や参考人の供述のみに頼ると危険である。車の傷が一致した、消火器が盗まれていた、証拠品遺留現場から供述どおりの品物を発見した、これら一つ一つを積み重ねて行くことが大事なのだ。この時は、それがうまく行った。
犯行使用車両やそれに取り付けられた盗難品のナンバープレートについても、関係したF組組員らを次々に逮捕していった。彼らは20歳前後と若く、まだ暴力団に染まりきっていなかった。担当した取調官の熱意と誠意で、結果的には大半が事件への関与を自供した。
彼らのうちの何人かは、その後、取り調べた捜査員に協力するようになった。若い刑事は情報を取れないなどと言う者もいるが、それは誤りだ。努力しなければ暴力団関係者からの情報は取れない。しかし、暴力団員や準構成員らも人間だ。嘘をついたりせず、誠意を持って当たれば、彼らの協力を得ることは不可能ではない。