2021年9月11日。ホークスにかかわる人々、そしてホークスを愛するファンにとって、これほど悔しさと屈辱にまみれた日はなかった。まさかまさかの初回11失点。2回が終わった時点で0-16とさらに差を広げられ、最終スコア5-17の大敗を喫した。

 しかし、同日。

 ホークスにとって誇れる出来事が北の大地から遠く離れた各所で起きていた事実は、殆ど知られていない。

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 今の野球界。かつてホークスで現役を過ごして活躍したプレーヤーがあちこちで指導者となって辣腕を振るっている。千葉ロッテマリーンズがその代表格だろう。ただ、NPBに限らずアマチュア球界に目を移しても、鹿児島城西高校を率いて甲子園にも出場した佐々木誠監督や、母校・大阪産業大学附属高校で後輩たちを率いる田上秀則監督、はたまた縁あって京都大学で助監督を務める近田怜王氏らがいる。

 そして、一般的に認知されている「プロ野球」といえば言わずもがな12球団のことを指すが、新しいプロ野球もずいぶんと日本中で育ってきた。

 いわゆる、独立リーグというやつだ。

 こちらもまた今シーズンが佳境を迎えている。そして9月11日、3つの独立リーグ球団が「優勝」を果たしたのだが、じつはその3チームすべての監督が、ホークスのOBだったのだ。

優勝記念写真 ©火の国サラマンダーズ

12年ぶり 高知ファイティングドッグス・吉田豊彦監督

 現在の独立リーグの先駆者といえる四国アイランドリーグplusに属する高知ファイティングドッグスは後期優勝を決めた。この高知で指揮を執っているのが吉田豊彦監督だ。

 まだダイエーホークスだった時代に先発ローテーションとして投げていた左腕。この名前を見て「おー!」と頷いたならば、かなりのベテラン鷹ファンだ。まだ黎明期のホークスの中で3度も2桁勝利をマークして、あの当時は貴重だった勝利の喜びをたくさん味わわせてくれた。

 阪神、近鉄、楽天でもプレーして2007年に引退。楽天でコーチを務めた後、2012年から高知に籍を置いている。高知のコーチを経て2020年から駒田徳広氏の後任として監督に就任した。

 歓喜の瞬間を、ちょうど取材する機会に恵まれた。優勝を決めた試合がホークス三軍とのタマスタ筑後での定期交流戦だったためだ。

「監督、前の夜は寝つきが悪かったみたいですよ」

 高知球団職員が吉田監督の緊張ぶりを教えてくれた。4球団の四国ILだが、半期の優勝だとしてもなんと12年ぶりになるという。高知といえば一時は藤川球児(元阪神)やかつてのレッドソックスの大砲のマニー・ラミレスもプレーしたチームだが、経営が厳しい時期も長くチームとしても苦戦していた。

 その中、10年間高知で指導にかかわってきた吉田監督だ。感慨もひとしおだった。マジック1で迎えたこの試合は初回に先制されたが、7回表に同点にした。なんと、ホークスのモイネロからヒットでチャンスを作り、同点タイムリーを打ったのだ。最強左腕はリハビリからの復帰初戦だったとはいえ、高知のダグアウトはとんでもない盛り上がりを見せていた。そのまま1-1で引き分けて、高知の後期優勝が決定すると、ナインがマウンドに一斉に駆け寄って輪が出来た。どんなカテゴリーでも、この瞬間に立ち会えるのは幸せなことだ。

胴上げされる吉田豊彦監督 ©田尻耕太郎

 胴上げも行われ、その後取材に応じてくれた吉田監督。「気持ちが落ち着いてから」としばらくしてやって来て、「まだ実感はないですね」と平静を装っていたが、その瞳は確かに潤んでいた。ちなみに、現在の高知のコーチは定岡智秋氏と勝呂壽統氏。定岡コーチは「定岡3兄弟の長男で、現役は南海ホークス一筋16年。ダイエーでは二軍監督などを務めた。鹿児島出身ということもあり、当時入団したばかりの川崎宗則の親代わりのような存在で、スターとなる基盤を人知れず作り上げた人物だ。勝呂コーチは巨人のイメージも強いが、2003年のダイエー日本一の時の一軍コーチだった。

 四国ILは前後期制をとっており、高知は年間総合優勝をかけて24日から、前期を制した香川オリーブガイナーズとのチャンピオンシップに臨む。