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なぜ“細かすぎて伝わらないモノマネ”を始めたのか…王貞治さんと私の不思議な縁

文春野球コラム ペナントレース2021

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「カーン」

「打ったー! ホームラン! ホームラン! 王さだはる756ごう! 世界新きろくです!」

 ぼくは「やったー!」とおとうさんのひざの上でとびはねました。

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 と、当時、作文の宿題が出ていたなら、その書き出しは、こう書いていたんだろうなあ。いや、あの日はまだ小学1年生か。確か、作文の書き出しをかぎかっこから始めるのが、素敵です的な事を教わったのは小学4年生位だったから、あの時の私なら、まだ難しい漢字も習っていないし、

 きょう、ぼくはやきゅうをみました。王せんしゅがせかいしんきろくをだしました。うれしかったです。

 こんな感じか。いや、待てよ。あの頃、そもそも私は野球を観ていたのか? 今に至るまでに、何度も、懐かしの映像として、テレビで流れるあの場面を見てきて、脳内に刷り込まれているその映像と、子供の頃の生活とを、自分の頭の中で混ぜ合わせているだけなのではないだろうか?

 でも800号のホームランは確実に覚えている。そして記念のボール型の貯金箱を買ってもらった思い出もある。ならば世界新記録を達成した9月3日もリアルタイムで観ていたのかもしれない。どちらにしても、物心がついた頃には、生活の中に王貞治はいたという事か。

ダイエー監督時代の王貞治氏 ©文藝春秋

 あー! もう限界です。カッコつけたのは書けない。素に戻ろう。

 申し遅れました。皆様、初めまして! 私、吉本興業の芸人で、いっちゃく先生と言うものでございます。現在福岡に住んでいます。

いっちゃく先生 ©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.

 ダイエーホークスが、我が県にやって来たのが、私が高校生の頃。

 最初はダイエーなんて弱小チームは興味なし! 野球はジャイアンツだ! と息巻いていた青年でしたが、あれから早30年。もう今では、すっかり、セ・リーグの選手はほぼ分からず、ホークスの試合だけを晩酌の楽しみにさせていただいているおじさんに様変わり致しました。

 そんなモイネロファンの私、チームホークスとして執筆させていただく事になりましたが、内容はホークスに関する事であれば何でもいいという事。ならば、推しメンモイネロさんよりも先に書かなければいけないものがあります。

 そう、私を野球少年へと導き、そして『細かすぎて伝わらないモノマネ』出演へと導いてくれた王貞治会長の事です。

王監督のモノマネを始めたきっかけ

 知っている方は知っている、知らない方は知らないかと思いますが、当たり前か。私、先輩の博多華丸さんと王監督のものまねで、何度も出させていただきました。華丸さんは王監督といつも一緒にいる蓑原マネージャーをやって、声、音を一切出さないサイレントものまねと言うのをやっていました。

 最初に出た時のタイトルが、「三塁側カメラが捕らえていた、松中選手のホームランをファールと判定されて、納得できない王監督と蓑原マネージャー」でした。

 中継などで、時折映る、ベンチ内の映像を再現したもので、私の動きに華丸さんが、完璧に合わせてくれて、落ちた時に、

「すごい! サイレントものまねだー!」

 と言われ、大きな拍手が起こった事を覚えております。こうやって少しでも、世に、王監督のものまねで出られたのも、本当、華丸さんのおかげでした!です。

いっちゃく先生と博多華丸 ©いっちゃく先生

 なぜ王監督のものまねを始めたのですかと、よく聞かれます。「顔が似ているからですか?」と皆様言われますが、違うのです。王監督のものまねをしたのではなく、ジャイアンツの「4番ファースト王」の時から真似をしていた延長なのです。

 あの頃の野球少年のほぼ全員がやっていたように、私も打つ時はもちろん、王選手のバッティングフォームを真似た一本足打法でした。ただし私は右打ちでしたが、そして、野球ではなくソフトボールでしたが。

 バットの芯辺りを片手で持ち、バッターボックスに入って、もう一方の片手を上げて、相手ピッチャーにちょっと待ってと合図を送り、まずは左足、右足と両方のスパイクで地面の土を慣らす、そして今度は、バットのグリップに手を持ち直し、スパイクに付いた土を、バットの先でちょんちょんと叩いて落とし、手につばを吹きかけて、バットのグリップをぎゅっと握りなおして、ホームベースをバットでトントンと1、2回叩いて構えに入る。

 こうしておいて、自分が王選手になったつもりで、相手ピッチャーを、グーッと睨んでのフォアボール狙いでした。

 打撃だけではなく、守備も真似していました。王選手は、内野ゴロで野手が投げて来た送球が、自分のミットに収まる瞬間に、ベースを踏んでいる左足を離すんです。いや、収まる前に、離しているんじゃないか位の見え方でした。憧れのファーストを守った時は、その軽快なキャッチングの真似をしたくて、少年にはその動作は難しかったんですが、家の中で、シャドーで一生懸命練習しました。そして、その技術を何とか習得したんですが、試合で使う前に、監督から、

「おい! 審判がしっかりアウトって言うまで、足はベースから離すな!」

 この一言で試合でのご披露は幻となりました。

 ですから、そう考えると一本足打法を真似する少年はいましたが、守備という細かい所まで真似している人はいなかったかなと思います。

©いっちゃく先生
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