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「好きを仕事に」の否定は神を証明し愛を否定するくらいに難しい

 社会学者の阿部真大氏は初期の名著『搾取される若者たち』(集英社新書)の中で、過酷な労働条件の中でバイク便ライダーがある意味嬉々として労働に打ち込んでいく様を、「好きを仕事に」することの落とし穴として鮮やかに描いた。私がかつて『「AV女優」の社会学』(青土社)の中で指摘した、下がっていく条件をうまくプライドに置き換えていく彼女たちのホリックの構造も似たようなところはある。

 しかし、現場で見るワーカホリックのホスト狂いたちも劣悪なギャランティのAV嬢たちも、苦痛の対価だと割り切って仏頂面で通勤するかつての私や私のような労働者に比べてずっと輝かしく、羨ましい存在でもあった。確かに、「好きを仕事に」も「仕事で自己実現」も「やりがい搾取」も、人が本来保つべき安定した生活習慣を脅かす落とし穴だらけではある。ただ、それを否定しようとするのは、実は神を証明し愛を否定するくらいに難しい。

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AV女優時代のギャラ100万円は何の対価に支払われていたのか

 何にお金が支払われているのか、というのは、実は正解のない問いである。そして時間が経って、考えが変わることもある。例えば、私はAV女優時代、今ほど給料を苦痛の対価だと考えて仕事をしていなかった。100万円のギャラは私の若さや巨乳や可愛らしさに支払われているものと信じていたし、だからこそ頑張ってダイエットしてお金にならない営業も回り、需要がなくならないようにどんどん過激な内容にもチャレンジした。引退して数年後、本気で好きになった人に「元AV嬢とは付き合えない」と言われて、若さや可愛さの対価だと思っていたお金は、実はそんなことを言われる悲しさに対して支払われた100万円だったのだとわかった。

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 最初からそう思っていれば、過激なビデオなんて出なかっただろうし、もっともっと手を抜いて効率よく100万円稼いだだろうし、高熱で寝不足の現場なんてとっとと休んでいたと思う。その方が健康にはいいし、命は落とさないけど、パワーとやる気に満ち満ちていたあの頃はあの頃で幸せだった。

 人の弱みに付け込んだひどい習慣がまかり通るブラック企業はもちろん存在する。ただ、全ての過重労働問題を労務管理に回収しては、仕事と人の本来的な関係を見落とす。かつての同僚と久しぶりにメールをしたら「夜回り禁止なんていうバカみたいなルールのせいで思うように取材できない」と会社のホワイトっぷりを呪っていた。少なくとも、時に仕事のやりがいが健康より大切に思えることを一刀両断に否定することなんて、他人にできるんだろうか、とちょっと思う。