厳しい状況が続いている鰹節問屋業界
――新商品の話の前に、まず現在の鰹節問屋の業界についてお聞きしたいのですが、近年、老舗問屋の廃業や大手の販路拡大などがあり厳しい状況と思います。丸勝かつおぶし株式会社はどのような路線を歩んできたのでしょうか?
真辺 創業は文化5年と古いですが、先代以前は屋久島で細々と鰹節を作って納めるという仕事を続けていたようです。先代が戦後間もない昭和25年頃、鹿児島から上京し中野区野方に事務所を構えました。その後、地道にそば店などに営業して、納品数を上げていきました。
江戸時代後期から昭和の戦前あたりまで、中野の神田川沿いには水車が並び、製麺所や製粉所、昆布や鰹節などの乾物問屋が集まっていた。高野製粉所や石森製粉が有名で、先代が中野の野方に来たのもそんな縁があったのだと思う。
――真辺さんが入社した頃はどんな状況でしたか?
真辺 自分が入社したのが昭和63(1988)年。バブル崩壊寸前の頃。鰹節問屋はすでに構造不況的な状況に陥っており、いずれ消えていく業界とさえ言われていました。スーパーでも鰹節は売れなくなっていた。会社もここで踏ん張って大きくするべきかの分岐点にあったわけです。そんな時、母親や先代に相談し、会社を大きくしない、唯一無二の存在の企業になることを選択したのです。つまり、品質をアップし、老舗や有名人気蕎麦屋に地道に1軒ずつ納品することで、日本一の鰹節問屋になることを目指したわけです。
高温で鰹節を炙る技術
そんな時、池袋の喫茶店に友人と入ったことで、その後の道が開ける画期的な製法を思いついたという。それがなければ、日本一高い家庭用「蕎麦つゆ」も誕生しなかった。
――独自の鰹節の製法をお持ちと聞いていますが、それが「蕎麦つゆ」の誕生にも関係していますか?
真辺 もちろん関係しています。ある時、友人と池袋の喫茶店に入り、友人はモカ、自分はアイスコーヒーを注文しました。そこのマスターはモカのコーヒー豆をその場で焙煎し、アイスコーヒーはあらかじめ焙煎してある豆で作り始めたんです。「なぜ、アイスコーヒーの豆はその場で焙煎しないのか?」と質問したところ、「アイスコーヒーのコクや旨味を引き出すには、もっと高温の焙煎機でやらないと無理なので、あらかじめそういう機械で焙煎してあるからだ」と教えられたんです。その時、閃いた。従来、蒸して遠赤外線などで焼いていた鰹節をもっと高温で炙れば旨味が出るのでは、と。そこで備長炭を使って2年寝かせた本枯節を炙ってみたら、本当に驚くような味を引き出すことができたわけです。それが製造特許をとった「備長炭直火焼本節」「備長炭直火焼亀節」です。
試行錯誤して特製機械を作り、試作品をお得意先に持っていって使ってもらいました。するとすぐ電話がかかってきて、「あれは何だ。出汁のコクが全く別物だ。すごい。もっと欲しい」という驚きの評価を次々ともらうことができました。値段は高いですが、鰹節の本物の味を引き出すことができたので、これを持って日本中飛び込み営業をして行きました。
大企業にならなくても、弊社だけが提供できる味のこのブランドを育てていこうと。その結果、銀座の高級寿司店や高級スーパーなどへの販路も広がっていきました。
有名蕎麦屋を超える味を
備長炭直火焼本節などの販売が大きく伸びていった。しかし、話題の「蕎麦つゆ」などの販売はほとんど手掛けたことはなかったという。しかも、めんつゆは圧倒的に安い商品しかない状況だ。500mlで300円未満が相場である。
――丸勝かつおぶしは今年6月に家庭用で日本一高い「蕎麦つゆ」を発売しました。この商品が誕生するきっかけは、そしてどのような思いや戦略があったのでしょうか?
真辺 もちろん、日本一高いことを目指して作ったわけではありません。結果的にそうなったというだけです。2020年夏、コロナ禍で営業活動が大きく制限され、全国行脚ができなくなりました。そんな時、スーパーやデパートを散策していたのです。するといろんな種類のめんつゆが販売されていたので、48種類を購入し、味見してみました。どれも苦労して味が作られていたのですが、低価格化でしのぎを削っている影響で、化学調味料や酵母エキスを使ったものが多かったんです。すぐに思い付いたのは、「自社の最高の備長炭直火焼本節を使って作ったらどうなるだろうか…」ということでした。