立ち食い大衆系そば屋にあって、老舗・町そば・手打ち系そば屋ではほとんど御目にかかれないそばの具材として、今まで「コロッケ」、「春菊天」、「げそ天」があることをお話ししてきた。ところで、実はもう1つ、ユニークかつ突飛な具材があることをすっかり忘れていたのである。それは「ソーセージ天」である。
「ソーセージ」といえば、それはもうドイツ生まれのポーク肉を使った肉汁ほとばしるそれを想像するに違いない。しかし、ここではそれではなく、いわゆる「魚肉ソーセージ」のことである。全国の文春オンライン読者の諸兄諸姉の皆様にそうお伝えしたら、さぞかしびっくり仰天するのではないだろうか。そこで、今回は「ソーセージ天そば」のことを取り上げてみたいと思う。
昭和の若者の胃袋を支えた今も人気な「魚肉ソーセージ」
オレンジ色のビニールに包まれたワイルドな姿。ちょっと難儀してビニールをはがして、そのままガブりとかぶりつく。おやつ感覚としての簡便さが受けて、若い世代に広く浸透した。ポークソーセージより安くて手ごろな食材として広く親しまれ、多くのCMがテレビで放映された。まさに昭和を駆け抜けた脇役的名食品といってよい。今ではDHAやカルシウム入りなどの機能性成分を付加した商品も登場し、健康志向の観点からも「魚肉ソーセージ」は人気の食材となっている。
ポークソーセージがあるのなら魚のソーセージがあってもいいじゃないか
そもそも「魚肉ソーセージ」はどのように誕生したのだろうか。日本で初めて商品開発に成功したのは愛媛県にある西南開発株式会社で、本格的な製造が始まったのは昭和26年のことである。西日本や関西で知名度が高いのはそんな背景があるようだ。
明治43年頃、横浜市山下町でドイツ人がハム・ソーセージ店を開き、外国人向けに販売していたという。明治時代の後期から大正時代にかけて、日本人はソーセージの旨さに開眼し、とりこになっていったわけである。
すると、「ポークソーセージがあるのなら魚のソーセージがあってもいいじゃないか」という考えが大正時代に芽生え、日本各地の水産試験場で、魚の練物を使ったソーセージの開発に着手。昭和24年に試作品が完成し、上記のごとく昭和26年に発売開始となったようだ。
冷凍たらを使用した現在の「魚肉ソーセージ」の原型は昭和40年代に入ったころに登場している。
東京の立ち食いそばと魚肉ソーセージのレアな関係
そんな人気な「魚肉ソーセージ」だが、そばの天ぷらの種として注目されることはほとんどなかった。「魚肉ソーセージ」の知名度は西高東低といわれていて、西日本で人気の商品のはずなのだが、福岡県や大阪府下の立ち食いそば屋のメニューに載ることはほとんどない。
そばうどんの天ぷら種として現在、販売されているのは、讃岐うどんの本場香川県のうどん店を除き、東京都と隣接する神奈川県・千葉県の一部の立ち食いそば屋に限られている。
立ち食いそばの大手チェーンである「小諸そば」、「ゆで太郎」、「名代富士そば」、さらに中堅の「吉そば」、「そば処かめや」あたりでもメニューにはなっていない(過去に短期でメニューとなったケースはあります)。
横浜の「鈴一」や「相州そば」にもない。かつての「大船軒」にも、かつての品川駅の「常盤軒」にもない。ましてや日本全国の老舗そば屋・町そば屋・手打ち系そば屋で扱うことはほとんどない。
つまり、「魚肉ソーセージ天」は東京でガラパゴス化して、一部の東京の立ち食いそば屋だけにみられる「ゲキレアなメニュー」となっているのだ。