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昭和45年頃には「魚肉ソーセージ天そば」はすでに販売されていた

 現在の「魚肉ソーセージ」が登場した昭和40年代といえば、戦後、立ち食いそば屋が一斉に登場した時期と重なっている。

 神田須田町の「六文そば」の店主である鈴木さんに伺うと、これがまた面白い回答が返ってきた。「六文そば」では、創業した昭和45年には「魚肉ソーセージ天そば」はすでに販売されていたという。当初は西南開発株式会社の「魚肉ソーセージ」を使っていたそうである。

魚肉ソーセージ天でも草分け的存在の「六文そば」

柳家喬太郎師匠が「二代目バルタン星人がウルトラマンに縦に切られるタイプ」と表現

 そんなレアな「魚肉ソーセージ天」をメジャーにする出来事があった。柳家喬太郎師匠が「時そば」の枕で、「コロッケそば」と同時に「ソーセージ天そば」を取り上げたのである。しかも、その天ぷらの揚げ方を「二代目バルタン星人がウルトラマンに縦に切られるタイプ」と表現し、大変に注目されることになった。

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 つまり、「魚肉ソーセージ」を横に半分に切るのではなく、縦に細長く半分に切って天ぷらにするということである。

 この話は落語として面白いということだけでなく、具材の使い方という点でも意味がある。「一由そば」の創業者である小森谷守氏から次のような話を聞いたことがある。すなわち、昭和の時代、「天ぷらにできる具材はなんでも取り入れたが、売るためにはやはりおいしい食べ方や見た目、面白い作り方を考えないとヒットしない」というのだ。なるほど、つまり、「魚肉ソーセージ」にはおいしい揚げ方の形状があるというわけである。

「魚肉ソーセージ天」の形状には3つのタイプがある

 実際に、食べ歩いてきてわかったことだが、魚肉ソーセージ天の形状には、主に3つのタイプがある。1つはすでにご紹介した「二代目バルタン星人がウルトラマンに縦に切られるタイプ」である。もう1つは「鞍掛タイプ」である。そして最後の1つは「横切りタイプ」である。「1本そのまま揚げるタイプ」は過去に目撃情報があったのだが、今回は発見することはできなかった。

 そんなわけで、東京近郊で食べることができる「魚肉ソーセージ天そば」をいくつかご紹介しようと思う。