先月26日、1963年の暗殺事件をめぐる機密資料の一部が公開されたアメリカの元大統領ジョン・F・ケネディ。そのケネディが1917年5月に生まれて半年後、11月14日には当時日本の統治下にあった韓国の慶尚北道で、のちに同国の大統領となる朴正煕(パク・チョンヒ)が産声を上げた。ちょうどきょうで生誕100年を迎えたことになる。

 朴正煕とケネディは奇しくも同じ1961年に43歳で政権の座に就き(朴はまず国家再建最高会議議長として就任)、また在任中に凶弾に倒れたという点でも共通する。もっとも、民主的な選挙で選ばれたケネディに対し、陸軍軍人だった朴は軍事クーデターにより政権を奪取した点で大きく違う。ケネディ政権は、韓国でのクーデターを最終的に承認したものの、朴政権の掲げた「革命課題を達成すればすみやかに民政に移管する」との公約に対し、その履行を催促し続けることになる。朴は63年に入り、一時は民政移管にともなう大統領選挙への不出馬を表明したが、結局、この年10月15日の大統領選に出馬し、アメリカがひそかに後押しした前大統領の尹潽善(ユン・ボソン)に15万6千票の僅差で辛勝した(池東旭『韓国大統領列伝――権力者の栄華と転落』中公新書)。ケネディが暗殺されたのはその翌月のことである。

 大統領としての朴の評価は、韓国でも真っ二つに分かれる。在任中、とりわけ1972年の維新憲法の公布以降、強大な権力をもって国民を弾圧した独裁者として彼を酷評する向きも多い。74年の陸英修夫人の暗殺後には、側近政治に傾き、それが結局、自身の暗殺(79年10月26日)につながったことも、暗い影を落としている。その一方で、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現した指導者として、歴代の大統領のなかでも高く国民から評価されているのも事実だ。

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朴正熙大統領(当時、左)と長女の朴槿恵氏 ©UPI=共同

 朴正煕の長女は、韓国の前大統領・朴槿恵(パク・クネ)である。彼女の自伝によれば、朴正煕は家族思いの父親だったらしい。朝夕、一緒に食卓を囲みながら、ときどき子供たちに「おまえたちがどこかの省の長官(大臣)だったら、どんな政策をとるか言ってごらんなさい」と訊ねることもあったという(朴槿恵『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす――朴槿恵自叙伝』晩聲社)。