「パイレーツに比べたら……」
ベイスターズファンなのにタイガースのことを書いている松と申します。
一時期の勢いはなくなりつつあるものの、なんとか首位に食らいついているタイガース。それに対して、ちょっと調子が上がったかと思えば連敗地獄に陥り、なかなか調子の上がらないベイスターズ。
そんな自分のメンタルを支えているのは、ピッツバーグ・パイレーツで調子を取り戻した筒香嘉智選手のニュースと、ベイスターズ以上に苦しいパイレーツの現状。借金がついに40の大台に乗ったのを見ては「パイレーツと比べたらまだ大丈夫」と、自分を慰めています。
それでも、移籍で謹慎がチャラになった選手にホームランを打たれた日や、守護神が3試合連続でセーブに失敗した日など、心の震えが止まらないときがあります。
そんなときは、最後の手段に出ます。
ベンチの三浦大輔監督を見て、こう思うのです。
「ああ、三浦監督がベイスターズにいる。それだけで十分だ」と。
三浦監督が誕生していなかった、別の世界線
そう、三浦監督がベイスターズの監督であることは、当たり前のことではないのです。ひょっとしたら別の世界線では、タイガースの選手として「トラの番長」と呼ばれ、今ごろタイガースの監督にすらなっていたかもしれないからです。
あれは2008年オフのことでした。この年、2回目のFA権を取得した三浦投手はシーズンオフに権利の行使を決断。2002年に最初にFA権を取得した際には権利を行使しなかっただけに、この権利行使は即「移籍希望」だと世間には受け止められました。本人は「五分五分」と言っているのに、ほぼすべてのメディアが「番長移籍へ」と書き立てたのです。
そして、その有力移籍先こそがタイガースでした。何しろ、三浦投手は関西の出身(奈良県)。お父さんは岡田彰布選手の後援会に入っていたというコッテコテのタイガースファンで、三浦投手が子供の時からタイガースファンだというのも「そらそうよ」という話です。
正直、当時ははっきり言ってもう、あきらめていました。勝てるわけがない。だってタイガースはお金もあれば人気もある、番長にとっては地元の球団でもある。提示された条件も良い。2008年の勝率はタイガース.582、ベイスターズ.338。
何よりも「勝ちたい」と言っていた番長を引き止められる要素が皆無だったのです。
野球殿堂博物館で当時の新聞記事を読んでみた
久々に当時の絶望感を味わおうというマゾヒスティックな思いの元、月刊タイガースや月刊ベイスターズのバックナンバーはじめ、新聞や書籍などの野球に関する貴重な資料をいつも見せていただいている野球殿堂博物館図書室で、2008年当時の記事を読みこんでみました。
スポーツ新聞各紙をめくればめくるほど、まるで昨日の出来事のように当時の絶望感がまざまざとよみがえってきました。
番長は「移籍するかどうかは五分五分」と言っているのに、スポーツ新聞各紙には「阪神有力」「トラの番長」という言葉が躍り、某スポーツ紙にいたっては、合成写真でトラッキーをリーゼントにする始末。一方、横浜首脳陣の「話は尽くした」という発言が、「横浜引き留めあきらめた」という見出しになる。
ある四コマ漫画では、番長の「五分五分」発言を受け、「ということは5分と5分で合計1割だから、9割がタイガース移籍」というネタさえ載っていました。なんか一瞬、納得してしまいました。
リーゼントに感心しきり
タイガース球団もタイガース球団で、三浦投手と同じ背番号18をつけていた杉山直久投手の番号を「剥奪」。エースナンバーを与えられるも思うように活躍できていなかった杉山投手だけに、「それはそれ、これはこれ」とでも言っておけばいいところを、球団幹部は「三浦投手の件と関係ないと言えばウソになる」と素直すぎる発言。
交渉の席では三浦投手のリーゼントをひたすら称賛し、新聞に「リーゼントに感心しきり」と書かれるほど。
まぁ、ベイファンはすでに感覚がマヒしていますが、確かにリーゼントの人はそうそう身近にいるもんじゃありませんから、「生リーゼント」に感心するのも当然かもしれません。