ただひたすら、神の名を唱えたあの日
世間的にはほぼ「移籍確実」などと言われる中、11月23日に行われたベイスターズのファン感謝デーに、律儀な番長は参加しました。
あれは、ファンと記念写真を撮るコーナーだったでしょうか。スタンドに座る番長に、ファンが次々に「行かないで」「残って」と声をかけていました。
私もその場にいたのですが、目の前の番長に簡単には「行かないで」なんて言えませんでした。だって、どう考えてもタイガースに行ったほうが幸せだから。だから、ただ「番長!」と声を掛けました。
いや、実際にはほとんどの人がただ「番長」と声をかけていたように思います。
人はただ祈るしかないとき、一心に神の名を唱えるものなのだと、この時知りました。
そして迎えた11月30日、番長は「横浜残留」を宣言。
そのことを書くと長くなるので止めますが、その瞬間、少なくとも私の世界線は「三浦大輔は、ずっと横浜」になったのです。
三浦大輔は、ずっとタテジマ?
一方で、今でもたまに思います。
もし、番長がタイガースに入っていたらどうなっていたのだろうか。
当然ですが、ベイスターズ三浦監督は誕生していなかったでしょう。暗黒時代バリバリのベイスターズは看板選手を失い、ひょっとしたら球団も、横浜からいなくなっていたかもしれません。
それだけではありません。
ありあけのハーバーのCMで「三浦大輔も、ずっと横浜」と言うこともなければ、ノジマの入社式で訓辞をすることもなく、「鶴瓶の家族に乾杯」で、名前がたまたま同じというだけの理由で青森県横浜町を訪れることもなかったでしょう。
そのかわり、上新電機のCMでジョーシンカードを手に微笑んだり、「Joshin webショップを、ヨ・ロ・シ・ク」などと言っていたことでしょう。掛布雅之選手以来の蚊取り線香のCMや、ランディ・バース選手以来の髭剃りのCMのオファーすら来ていたかもしれません。
番長がタテジマを着たら着たで、ちゃんと似合っていたでしょう。まるで「三浦大輔は、ずっとタテジマ」であったかのように。
そしてトラッキーは本当にリーゼントになり、甲子園には奈良漬やシウマイの入った「番長弁当」が売られ、スタンドには氣志團みたいな人が大勢詰めかける。
チームは三浦番長に金本アニキ、ヒゲのダンディ下柳、そして後に男前藤井が加入と、なんだか妙に男臭くなっていたに違いありません。
そして、200勝に到達したかはわかりませんが、190勝くらいはしていたのではないでしょうか。
引退後、タイミング的にちょうど金本監督の後に監督に就任していた可能性すらあります。
番長、五分五分でお願いします
ただ、結局番長はタイガースに行きませんでした。
それがどれだけ衝撃的だったかは、当時の真弓明信監督の「(来ないなんて)想像もしていなかった」というコメントからも、よくわかります。さすが笑いの本場、関西。笑い飯の「思てたんと違う」に通じる深みを感じる一言でした。
でも、タイガースファンに失礼なのを重々承知で言わせていただくと、なんだか「それでこそタイガース」という気がするのです。常にスマートに選手をかっさらっては二軍で塩漬けにする某球団と違って、「虎の恋人」という名にふさわしく、獲るときは常に全力。獲ったら獲ったで大喜びし、獲れなったら獲れなかったで「難儀やなぁ」と笑ってネタにする。
タイガースとベイスターズの間には、そういえばなんだかネタっぽい出来事がいろいろとありました。引退する選手に「選手より監督が目立つようではダメ」と苦言を呈されたり、FAの人的補償で主力捕手を取られて右往左往したり、大雨と泥水の中でCSを戦ったり、新人に「鳩サブレ」越えの場外ホームランを打たれたり。そういえば有名な「下柳ブチ切れ事件」も、ベイスターズ戦でのことでした。
阪神巨人戦のようなガチなライバル関係とは違う、タイガースとベイスターズならではの歴史を、今後も紡いでいってもらいたいと思っています。
ちなみに毎年ベイスターズが圧倒的に負け越していたタイガースとの対戦成績ですが、今年はわりと互角。
というわけで番長、今後もタイガースとはせめて「五分五分」でお願いします。
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