栗山監督には絶大な感謝の念と複雑な感情とが両方ある
思えば栗山監督という人はずっとそうだった。まず野球ファンなのだ。著書『覚悟』の表現なら「一流の伝え手」だが、そこには何よりもファンとしての目線(野球って面白いなぁ)がある。何しろ常々「水島新司先生の漫画のおかげで僕たちはプロ野球を目指した。漫画みたいな選手を作ることが先生への恩返し」と公言してきた方だ。水島氏には「漫画みたいな選手をありがとう」とお礼を言われたという。
そこの距離感。野球の神様に叱られないスレスレ。
栗山監督なくして二刀流・大谷翔平は生まれなかった。ただ、その成功は「魔術師」三原脩を信奉する彼に「常識を覆す魔法」を与えてしまう。2019年に「オープナー」を採用。リリーフ投手を先発に起用し、短いイニングで交代させた。勝利につながることが少なかったばかりか、オープナーとして起用され続けた投手の心が折れたとも聞く。また、極端な守備シフトも導入する。例えば、左の強打者に対してショートがセカンドの位置に来るようなシフトをとったが、ヒットを内野ゴロにする代償として内野ゴロをヒットにしてしまうケースも目立った。しかも、ここが大事なところだが、シフト以前に守りそのものに問題があり、10年前まで看板だった守備は去年ついに失策数がリーグワーストになった。
この数年、栗山監督の選手起用、采配には疑問を感じることが多くなった。漫画みたいなロマンを求めるあまり、足元が見えなくなっていたんじゃないかなぁ。新人、新外国人、移籍選手が多くのチャンスをもらう一方で長年鎌ケ谷で頑張ってきた選手がチャンスをもらえないような気がした。2017年に外野の一角でレギュラーをつかんだ松本剛は翌年、出場機会を減らした。さらには王柏融が入団して一軍にいることさえままならなかった。漫画みたいな野球はいいけど、山田太郎、里中智、岩鬼正美、殿馬一人だけでなく、上下左右太(かみしも・さゆうた)や蛸田蛸(たこた・たこ)にだって家族や恋人がいて人生があるのだ。
あと、誰かがエラーしても誰かが試合をひっくり返されても「俺が悪い」の一言。選手に責任を押し付けないという意思表示は立派だけども、監督の采配ミスの時にはなんの慰めにもならなかった。
2016年のオフ、番組でインタビューした宮西尚生は「今までの監督にはない初めての監督。ファイターズを家族と思っているお父さん」、キャプテンだった大野奨太は「ここまでコミュニケーションをとれる監督は(野球人生で)いなかった」と話した。あれから5年、なんでこうなったかな。中田翔は暴力事件でチームを去った。監督は「全ての責任は自分にある」と言ったけど、モヤモヤは残る。このまま去っていかれるのか。いつか「一流の伝え手として」経緯が語られる日は来るのか。
栗山監督には絶大な感謝の念と複雑な感情とが両方ある。
野球の神様はどう見ておられるだろう。2021年ドラフトの結果を僕はまだ知らず、これをご覧の読者は知っている、果たして栗山監督の引いたクジは当たっただろうか? 野球の神様は微笑まれただろうか、それとも最終的にはお叱りを受けたのだろうか。
追記 11日のドラフトでファイターズは天理高校の達孝太投手を単独指名。栗山監督のくじ引きの出番はなかった。神様とはノーゲームだ。
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