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私の思い出のレコード「ぼくらのファイターズ」とは何だったのか

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/07

【えのきど推薦の言葉】僕が大人になって初めて出会ったファイターズファンがナカジマでした。記憶があいまいですが、たぶんエディターの故・川勝正幸さんが引き合わせてくれたんじゃなかったかな。サブカル方面の知人の間では「ナカジマも日ハムさえなければいいヤツなんだけど」と評判でした。そりゃ仲良くなりますよね。年齢的には僕より一回りほど下、ちょうど70年代の日本ハム球団が組織していたファンクラブ「少年ファイターズ会」の年代です。(後で知ったんですけど)当時、俳優の緒形直人さん、作家の西村賢太さんも入会していたそうですよ。ナカジマの文春野球デビューはその「少年ファイターズ会」関連のネタですね。それではコラムの後でまたお会いしましょう(えのきどいちろう)。

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 初めましてこんにちは、FPM中嶋と申します。“野球レコード収集家”を自称し、古今の野球レコードを闇雲にコレクションし、それら野球音源のみをひたすらかけまくるイベント「プロ野球 音の球宴」を主宰する者です。かつて村瀬コミッショナー執筆のNumberWebコラム『野次馬ライトスタンド』にも取り上げていただきました。いま検索してみたらもう10年前の記事だったんですね。驚きました。

 それと、「音楽ナタリー」のこちらの記事

 一風変わった形で音楽を楽しむ人たち 第3回『野球レコードコレクターの終わりなき旅、選手本人にとどまらず家族や元妻の音源も収集』〜「音の球宴」FPM中嶋が野球レコードに心血を注いだ約30年間〜

をご覧いただければ、私がどのような者であるかがお分かりいただけると思います。

 上記の音楽ナタリーでの記事では、私の“野球レコード”収集のきっかけとして阪急ブレーブス・大熊忠義が歌う『この足で…』を挙げております。このレコードがきっかけとなったのは間違いないのですが、意識して収集し始める前の野球レコードとの出合いについて話しそびれていました。

 レコードマニア向けの月刊誌『レコード・コレクターズ』では、同誌で執筆している音楽ライター諸氏が人生で初めて買ったレコードを明かす「ハジレコ」という連載ページがかつてあり、“現在はハードコアパンク専門の書き手の人が初めて買ったレコードは太田裕美だった”などといったカミングアウトを読むことができて大変興味深い連載でした。今回はこの場をお借りして、私FPM中嶋の“野球モノのハジレコ”についてお付き合いいただければと存じます。

含蓄の深さを感じずにいられない中西監督の言葉

 73年の試合観戦をきっかけに、日拓ホームフライヤーズ~日本ハムファイターズ~北海道日本ハムファイターズと名称・本拠地が変わってもこのチームのファンとして約半世紀を過ごしてきました。その要因の一つとして間違いなく挙げられるのが小・中学生を対象とした球団ファンクラブ「少年ファイターズ会」への入会です。入会特典は「会員証、選手と同じ野球帽、ガイドブック、主催試合一般席ご招待」。1000円ほどで後楽園球場の自由席に入場し放題という魅力的な特典を知った私は、これがいかにおトクな代物であるのかを親に説明して、晴れて会員となりました。共稼ぎで夜の帰りも遅かった親からすれば「子どもだけの外出は心配だけど野球観戦ならばまあ大丈夫か」ぐらいの気持ちだったのでしょう。あの時代のパ・リーグの球場がそこそこ野蛮な場だったことも知らずに。75年、後楽園球場の正面ゲートに設けられていた少年ファイターズ会ブースにて入会手続きして受け取った入会特典の品々の中にあったのが、このソノシート。私にとって“野球モノのハジレコ”でした。

『ぼくらのファイターズ』ジャケ写 ©FPM中嶋

 75年度の少年ファイターズ会の入会特典ソノシート。中央に中西太監督・張本勲選手、右に新美敏投手、左にマスコットキャラクターイラストを配置したジャケ。入手当時さして疑問に思わなかったが中西監督の手をついたポーズから察するにイラストのポジションには別の選手が写っていたのを諸事情によりイラストに差し替えたのだろうと後年になって思うのだった。選手の顔ぶれからして本来は74年オフにヤクルトスワローズへ移籍した大杉勝男選手がいたのではと睨んでいる。

 A面には「中西太監督のお話」、B面には「張本勲選手・新美敏投手のお話」がそれぞれ収録されています。まず、A面から再生してみましょう。「ファイターズファンの皆さん、こんにちは。毎日、元気で勉強にスポーツに、頑張っておりますか?」と語りかける川部栄子さんによる、75年度の新入団選手のフルネームと背番号の読み上げからスタートします。“ウグイス嬢”として東映フライヤーズ時代から後楽園球場~東京ドームの主催試合の場内アナウンスを務めた、川部さんの凛とした美声で「三菱自動車川崎より、菅野光夫内野手、背番号1」などと読み上げられると、まるで75年当時の後楽園球場にいるかのようです。

 続く中西監督のお話は「今年は、皆さんに喜んでいただける成績を残せるよう頑張っています」と冒頭はやや控え目な発言。ファイターズ初代監督として就任1年目だった前年、当時2シーズン制だったパ・リーグで前・後期とも最下位とあってはやむを得ないかもしれません。「若さ溢れるピチピチした野球で期待に応えたい」と抱負を語り、選手のプレーについても「最初から『ああダメだ、とてもオレの力では出来ない』などと考えたらスタートから負け」、「皆さんの勉強でも『ああ難しい、やめた』ではダメですね」と練習や学習の必要性を説きます。その一方で「勝負は時の運、勝つことも負けることもあるでしょう」とも語るあたり、西鉄ライオンズの主力選手として黄金時代、兼任監督としてつらい時代をそれぞれ経験している中西監督だけに、このちょっとした言葉にも含蓄の深さを感じずにおれません。