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私の思い出のレコード「ぼくらのファイターズ」とは何だったのか

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/07

70年代パ・リーグチームの悲しさ

 ソノシートを裏返してB面に針を落とすと、まず登場するのは張本選手。“前年に7度目の首位打者を獲得(このタイトル獲得数は、イチロー氏と並んで今も日本タイ記録)したが、今シーズンは個人タイトルよりもチームの優勝を目指す”、と宣言するあたりはさすがチームの主力打者、頼もしく響きます。と、ここで“話は変わって”というトーンになり「トシも一緒で家も近所」で「お互いのバッティングの先生」と、読売ジャイアンツ・王貞治選手とのご近所付き合いを語り出します。そして王選手との交流を通じて得た、ご自身の信条を述べるのです。「私の信条は“人の話を聞く”ことに置いています」。リスナーの子どもたちに対しても「皆さんも知らないことは何でも質問し、覚えることです。決して恥ずかしいことでないのです。知りもしないのに知っているような顔をするのほど恥ずかしいことはありません」と説き、「“人の話に耳を傾ける”、これが私の人生哲学です」と重ねて強調します。張本選手のお話、私は何度聴いても「(その語る内容については)間違ったことは何一つない」と思います。

 最後は新美投手のお話です。入団初年度の73年には12勝を挙げて見事新人王に輝き、翌74年も12勝と“若きエース“として飛躍が期待される新美投手。「今年こそは20勝投手の仲間入りをと頑張っています」と力強く宣言し、大台達成には「それこそエベレストに登るような苦労と努力が必要」と、プロ野球選手としては小柄(当時のデータでは身長1m72cm)なだけに、世界最高峰の登頂に例えてその覚悟を述べます。そしてプロ入りの動機については「小学校の頃から郷里・熊本の大先輩、巨人軍の川上前監督に憧れ……」

 ……張本選手に続き、セ・リーグの人気球団の名前がここでも出てしまうのが70年代パ・リーグチームの悲しさなのかもしれません。

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 このシーズン、チームは前期4位、後期4位ながらも通算で最下位。中西監督は2年連続最下位の責を問われて辞任、張本選手は新人以来の2割7分台の低打率、新美投手も4勝と寂しい成績を残し、張本選手はこの年のオフ、新美投手は76年オフに相次いでチームを去りました。

 70年代半ばに小学校高学年~中学生だった時期に弱小チームのファンとなってしまった私ですが、その後、今日に至るまで、そりゃまあ試合経過や結果に多少心動かされたりはするものの割と心安らかに過ごせております。なぜなら、このソノシートを入手以来何度もなんども繰り返し聴いた結果、中西監督の「勝負は時の運、勝つことも負けることもあるでしょう」の言葉が胸の中に、まるでレコードの溝のように刻まれてしまっているのですから。

『ぼくらのファイターズ』ターンテーブル ©FPM中嶋

 ソノシート再生中。クレイジーケンバンドの1stアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』収録曲『葉山ツイスト』の歌詞に「昭和にワープだ」という一節があるが、川部さんの声を聴いているとまさに「昭和50年の後楽園球場にワープだ」だ!

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【えのきど受け止めの言葉】はい、ナカジマ君でした。「レコードの溝のように刻まれてしまっている」、ちょっと怖いですね、刻まれてるのが中西太の言葉ですからね。でも、これがナカジマの耳にした「初めての野球レコードであり、そして日本ハムファイターズ自身の「初めての野球レコード」なんですね。資料的価値があります。そして、ファイターズの発足時の初志を知る手がかりになります。

 中西、張本、新美、みんなこの後、チームを去るんです。その意味でも貴重ですね。現在のファンにはなじみのない名前だと思いますが、忘れ得ぬビッグネームです。いやぁ、コラムって本当にいいですね。それではみなさん、サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ(えのきどいちろう)。

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