10月6日、スポーツニッポンは一面で「栗山監督勇退」と報じた。それから4日経った今、正式な発表はないが今年が最後かもしれない。

10/6付、スポニチ東京版 ©近澤浩和

 2011年のオフ、栗山英樹監督が誕生した時、全くピンと来なかった。

 日本ハムファイターズのOBではなく、監督・コーチ経験者ですらなく、北海道には栗山町の観光大使という縁があったと聞いたが、僕は栗山町がどこにあるのかも知らなかった。

ADVERTISEMENT

 2012年に新監督としてリーグ優勝した時も、2年目の斎藤佑樹を開幕投手に指名(結果はプロ初の完投勝利)……といった奇をてらった采配が注目を集めたものの、僕個人としてはまだ半信半疑だった。何がって栗山英樹という人はまだスポーツキャスターに重心があって、体験的ジャーナリズムとして監督を引き受けたのではないか?という疑念だ。シーズン終了後、早速発売された彼の著書『覚悟 理論派新人監督は、なぜ理論を捨てたのか』を読んでもなおその疑念は残った。

「一流の伝え手になる」という目標を持っていた彼が監督を引き受けたのは、北海道にフランチャイズを構えてわずか8年の球団がどのようなチーム作りに取り組むか興味を持ったからだという。

栗山英樹監督 ©文藝春秋

「野球の神様」との距離感が面白かった

 そして、リーグ優勝した秋のドラフト会議で1位指名したのが大谷翔平だ。

 160キロを投げた花巻東の投手。春のセンバツは大阪桐蔭に負けたけど藤浪晋太郎からホームラン。夏は岩手大会で敗退。日本のプロ野球ではなく直接MLBの球団に行きたいらしい。僕の大谷翔平情報はそれくらいだったが、日本ハム球団と栗山監督は彼に「二刀流」としての育成をプレゼンして入団にこぎつける。

 大谷の入団2年目。投手として11勝、打者として10ホーマーを記録した(MLBよりひと足早く「ベーブ・ルース以来」と騒がれた!)そのオフ、栗山監督をスタジオにお招きして、文化放送の新春特番『新春翔平ショー~大谷翔平 二刀流の真実~』(パーソナリティー兼ディレクター:斉藤一美)を制作した。そのときの栗山監督の怪気炎。「20歳でも何歳でも関係ない。まだ物足りない」「あれだけの能力ならこの成績は当たり前」「15勝、30本もいけた」「3割打って当たり前。3年目に成績が落ちたらクビ(笑)」「歴史に名を残したけども、本当の歴史になるのかはこれから」 これが大ぼらでもなんでもないことを僕らは後々知る。

 2015年の大谷は15勝で最多勝と最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得。2016年には10勝、22ホーマーでリーグMVP、10年ぶりのファイターズ日本一に貢献する。その2016年オフにも文化放送の新春特番『マンガを超えたファンタジー 栗山英樹 野球狂の詩』で再び話を聞いた。一番バッター投手大谷の先頭打者ホームラン、クライマックスシリーズ最終戦でのDH解除からのストッパー大谷など、驚きの連続だった采配についてうかがう中で、とりわけ興味深かったのは、日本一を決めた日本シリーズ第6戦の話だ。

 第6戦、2016年10月29日。3勝2敗と王手をかけた状態で舞台は再びマツダスタジアム。もしこのゲームを落として3勝3敗になれば第7戦の先発は大谷だった。広島の先発予定は引退を決めている黒田博樹だ。栗山監督は言う。「そりゃ黒田vs大谷が見たかったですよ。でも、そこまでしたら野球の神様がそっぽを向いちゃう」。

 その「野球の神様」との距離感が面白かった。シリーズの流れを体感し、王手をかけた試合で一気に決めたい。ただ内心、神様に叱られるかもしれないが「黒田vs大谷」のマッチアップは見たいのである。その気持ちは隠さない。隠さないけれど、いかんいかんそれはダメと自分を戒めている。