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やんちゃなロッテから時代は変わり…“大人の井口マリーンズ”はなぜ強い?

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/25

 30年来のロッテファンです。いやはやずっと続くオリックスとの首位争いに一喜一憂の毎日。なんて書くと、スポーツアナウンサーとしてそういうことを公言するのはいかがなものかというお声もあるかもしれませんね。ただラジオ(私の場合はニッポン放送です)のナイター中継はほとんどがセ・リーグの試合です。もし私が「巨人ファンです!」と憚ることなく喋れば大問題。局にも抗議が来て私はお咎めを受けるでしょう。

 ただロッテの場合、幸いにして(?)私がファンであると言っても、リスナーを敵に回すということはほとんどありませんでした。特に川崎球場時代を思えば「このアナウンサー変わってるね」くらいの感じで受け止められていたと思います。

筆者・松本秀夫

鮮烈だったダグアウト裏の通路でのグーパンチ

 そもそも私がロッテファンになったのはスポーツアナウンサーになった直後の25、6歳の頃、この川崎球場に通い詰めたのがきっかけ。当時は在京l球団にそれぞれアナウンサーの担当が決まっていて、新人の私は中継機会の最も少ないロッテオリオンズの担当に指名されたのです。日々の川崎球場通いは驚きに満ちていました。川崎駅でタクシーに乗ろうとすると運転士さんに「そんな近いところ歩いて行けよ」とどやされる、裏通りの立ち飲み屋さんの前には昼間から酩酊したおじさんたちがたくさんいて、ある方は道にへたり込み、またある方は電柱に向かって放尿……だけならまだしも……これ以上は書けません(汗)。

 またあるときは球場内のダグアウト裏の通路で、野球ファンなら誰もが知っている有名選手が某投手の胸ぐらを掴んだ……と思ったらいきなりグーパンチを浴びせたのです。わっ、これがプロ野球の世界なのか……その時の印象はあまりにも鮮烈でした。以来30年以上、私は球界の誰かが、たとえ平手打ちでも、誰かを殴ったシーンを一度たりとも見たことはありません(乱闘を除く)。

 そんなロッテオリオンズですが、選手と報道陣の間の垣根は低く、試合後はロッカールームに入ることも許されていました。メジャーリーグ並みの対応といえば聞こえはいいですが、当時は放送・新聞ともにロッテの扱いが非常に少なかったため、広報の方が「なんとか取り上げてください」とサービスしていたというのが現実です。そういう環境でしたから半人前の私でも何名かの選手とは親しくなることができて、元首位打者の高沢秀昭さん、堀幸一・現育成コーチらとはよく酒を飲んだりする関係まで築けました。やがて彼らを応援するうちにオリオンズ自体のファンになったというわけです。

完全な新時代の到来

 あれから30年あまり、チームは本拠地を移転し、名称が千葉ロッテマリーンズに変わり、同時にチームカラーもどんどん変わって行きました。オリオンズ時代はとにかくみんなやんちゃ(便利な言葉です)。パンチパーマは当たり前。車はアメ車が大流行。ブオンブオンと大爆音を上げたトランザムやらシボレーが球場の駐車場に次々と入ってくる様子は異様でした。イメージはみんなおっかないんだけど野球はからっきし弱かった。負け犬根性が染み付いていたんですよね。

 それが92年の千葉移転と同時にピンクのユニフォームを着るという過渡期を経て、バレンタイン監督の登場(第1期=95年、第2期=04年~09年)で劇的に変わりました。特に第2期は徹底したメジャーリーグスタイルの野球がチームに吹き込まれ、はたまた西岡剛選手、今江敏晃選手、里崎智也選手らが台頭してきたことでチームの雰囲気は一新。彼らもまた“やんちゃな”選手でしたが、今度は球場外でなく、試合中のやんちゃでした。

 05年から導入された交流戦でも「セ・リーグなにするものぞ!」というのが彼らのスタイル。特に巨人戦での変化は目を見張るものがありました。90年代はイースタンリーグでも「巨人のユニフォームを見ると勝てる気がしないんだよ」なんて本気で話す選手がいたものですが、交流戦では完全にそんなコンプレックスが消えていました。こうした勢いを駆っての交流戦優勝、プレーオフでの対ソフトバンク勝利、そして日本シリーズの対阪神4タテ。完全な新時代の到来です。西村政権に変わった10年の下剋上日本一もその延長にあったマリーンズの姿だったと思います。