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――さーちゃんさんはどうでしたか?

さーちゃん 不安はありました。ネパールは家族の絆が強いので、将来日本で暮らすのは寂しいなと思っていたし。そもそも村からほとんど出たことないのに日本に住むって大丈夫なのかなって。

初めて日本に来て「私ここで暮らすの絶対無理」と思った

――そして結婚することになったんですね。

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けんいちろう ネパールでの手続きが大変でした。役所の人は仕事が遅いし、書類のミスはあるしで、かなり時間がかかりました。でも彼らはカースト上位の人なので、文句言ったり、早くしてなんて絶対言えないんです。婚約届だってほいって投げられたり、冷たくあしらわれたり、いびられてましたね(笑)。

ネパール最大のお待ち理・ダサイン さーちゃんさんが黄色の服をきた女性にティカと呼ばれる赤い印をつけている

 そのあと地元警察による身辺調査があるんですけど、日本人と結婚するということで村中大騒ぎでした。村の老人から「警察に渡すお金用意した?」と言われて、「え、お金が必要なんですか?」と聞くと、「慣例でお金が必要なんだよ。渡しておくから4000ルピー出して」と。すっかり信頼して、4000ルピー渡しました。

さーちゃん 詐欺ですよ(笑)。後からけんいちろうに聞いて、そんなのに騙されたの? って驚きました。外国人と結婚するとこういうことが起きるんです。まあ良い勉強になったと思っていますが。

――そして無事結婚してお2人で一度日本に行くんですよね。

さーちゃん そうです。飛行機も初めてだし、水道が蛇口から出るのも新鮮だし。日本についてからも電車や高層ビルを見て、ここは本当に現実? と思いました。全てが違ったので。その時に「私ここで暮らすの絶対無理」と思いましたね(笑)。その後、私だけネパールに帰国して2年間ネパールで生活して、2018年にようやく日本で一緒に暮らし始めるんです。

――出会いから5年、ようやく一緒の生活が始まるんですね。

けんいちろう そうですね。愛知県の田舎で、2人暮らしが始まりましたが、さーちゃんにとってはかなり大変な生活だったと思います。

さーちゃん 外に1人で出るのは不安だし、日本語はわからないし。最初はどこに行くにもけんいちろうと行動していました。初めてウォシュレットを見たときはボタンが多すぎて、何がなんだかわからなかったし、自動販売機でボタンを押すといきなり飲み物が出てきたり(笑)。

 牛肉は食べれないのにいたるところに売っているし。カレーは全然味が違うし(笑)。驚きの連発でした。でも日本語学校に通い始めて少しずつ言葉もわかるようになって、今では1人で大体のことはできるようになりましたね。ジャワカレーの辛口がすごく美味しいので、よく使っています(笑)。

けんいちろう 今はさーちゃんも働いているんです。本当だったら年に1回か2回はネパールに帰りたいんですけど、コロナ禍で2年も帰れていないです。

ヤギの散歩をするさーちゃんさんの家族

さーちゃん テレビ電話で近況報告はしているんですけど、すごくさみしいです。おばあちゃんはあまり体調が良くないので、心配だし。早く状況が良くなって帰れるといいなと思っています。

――早くネパールに行けることを祈っています。ありがとうございました。

【国際結婚】年下ネパール人妻の日常ライフ【Love】(Tamaken kitchenより)

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