ネパール出身のさーちゃんさんと結婚したけんいちろうさん。お2人が結婚するまでにはいくつもの障壁があった。通算3年にも及ぶ遠距離恋愛の末、結婚し、現在は日本で暮らしている。

 そんなお2人にこれまでの話を詳しく聞いた。(全2回の1回目/後編を読む)

出会った頃のけんいちろうさんとさーちゃんさん

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「朝4時には起きて、片道30分かけて水を汲みに」

――さーちゃんさんが育ったのはネパールの中でもかなり田舎の方だということですが、どんな生活を送っていたのでしょうか?

さーちゃん カスキ県のポカラという町にあるサランコットという村で育ちました。人口は約5000人くらいで、村人は農業だったり観光業をやっています。水道はもちろん流れていないので、朝4時には起きて、片道30分かけて水を汲みに行っていました。20キロとか30キロの水をバケツに入れて帰っていました(笑)。

さーちゃんさんが住んでいたサランコット

 それに水汲みは朝6時くらいだと混むので、私の母は夜中の2時に起きて水汲みに行っていました。生活水なので、水がないと何もできないんです。冬は特にきつかったですね。

――冬は結構寒くなるのでしょうか?

さーちゃん そうですね。5、6度ぐらいの寒さにはなりました。夏は30度超えると思います。四季がきちんとありますね。木を燃やして料理していたし、私の幼少期は電話なんてないし、日本から見たら相当遅れている生活を送っていました。

――学生時代も村に住んでいたのでしょうか?

さーちゃん 村に高校まであるので、高校生までは基本的に村を出ません。大学は村の外にあるので、通うか、外に出るかですね。私の家族は茶屋を経営していたので、高校生の頃から手伝いをしていました。大学生になって午前6時から10時まで授業、11時に家に帰ってから、茶屋で働いていました。村でも大学まで進学する人は多いです。女性でも勉強が必要みたいな考えは増えていて、私の姉も大学を出て、教師をやっています。

さーちゃんさんの家族が経営する茶屋から見える景色

――さーちゃんさんは日本のことは知ってましたか?

さーちゃん そうですね。教科書で習っていたので知ってました。でも外国自体未知なので、興味もなく、日本という名前の国があるという程度でした。

――海外に行くことはほとんどないのでしょうか?

さーちゃん そうですね。村の中で一生暮らす人は多いです。結婚もほとんどが村の同じカーストの人とするものなので。自由恋愛もあまりないです。親同士が進めてお見合いをして、結婚するという感じですね。

 結婚していない男女が一緒に歩いているだけで噂になるし、妬まれたり、文句を言われたりするので、恋愛ができるような空気ではなかったです。