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2021/12/08

source : 文春文庫

genre : 読書, 歴史, 社会, 政治

ハワイ攻撃をやらなかったならば

 では、もしこの作戦をやらなかったとして、南方資源地帯の攻略作戦が順当に運んだかどうか、これは非常に疑問である。あれほどの打撃をこうむりながら、昭和17年2月1日には、アメリカの機動部隊はマーシャル、ギルバート群島に来襲し、同月24日にはウェーキ島に来襲している。アメリカ艦隊の主力がハワイ方面に位置することは、戦略的には立ち上がりの姿勢にあることである。猛獣にたとえるならば、跳躍直前の姿勢である。

 もし、ハワイ攻撃をやらなかったならば、アメリカは当時国論が分裂していたのであるから、その統一に時間を要し、作戦行動もてまどったであろうという論もあるが、たとえハワイ攻撃はやらなくても、フィリピンやグアム島の攻略作戦をやらないわけにはいかないであろう。アメリカやイギリスの門前を素通りして、宝庫たる蘭印だけを手に入れるなどという虫のいい戦争はできないのである。フィリピンやグアム島の攻撃は、やはりアメリカ国民を結束させることになるのである。

 そうすれば、2月1日に南洋群島の東端に来襲した敵機動部隊とは比較にならない強力な艦隊が、12月中、おそくも1月中旬までには、わが南洋群島はもちろん本土に対する空襲を行なったであろう。このことはわが連合艦隊の大部は、南方作戦の支援を打ち切り、アメリカ艦隊の邀撃配備につかなければならないことを意味するのであって、南方資源地帯を占領することすらできなかったであろう。

 やはりハワイ作戦は、戦略的には不可欠のものであったということができよう。

 この作戦は、戦術的には一応成功であった。ただ、航空母艦2隻 (エンタープライズ、レキシントン) を討ちもらしたことは、アメリカにとっては幸運であったが、わが方にとっては全くの不運であった。死児の齢を数えるようなものであるが、この2隻が在泊していたか、そうでなくてもわが索敵圏内にいたならば、防御力の薄弱な空母であるから、再起できないほどの打撃を与えることができたであろう。その後の戦局には大きく影響し、ミッドウェー攻略も成功したかもしれない。

 では戦争の勝敗に影響したかというと、そうはいかなかったであろう。戦争の中期以降、出現した敵の大兵力は、ここで空母の1隻や2隻を失ったところで、どうにもなるものではなかった。