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『クレイマー、クレイマー』での不快なセクハラ

 一体、合意のない性的行為の何が面白いのかと思いますが、相手の動揺やショックを見て、自分が与えた影響やパワーを感じ、さらに喜びを得る心理があるのかもしれません。アカデミー賞俳優のダスティン・ホフマンも、テレビムービー『サラリーマンの死』(85年)の撮影中、インターンで当時17歳だった女性に、何度もお尻を掴む痴漢行為を働き、彼女とのセックスを妄想した様子を事細かに話したりなど、日常的にセクハラをし続けていたとのこと。メリル・ストリープも『クレイマー、クレイマー』(79年)で共演中、ホフマンに胸を掴まれた不快な記憶を明らかにしています。今では名女優としてゆるぎない立場のストリープも、当時人気俳優だったホフマンに比べると駆け出しの時期だったため、現場では暴力も含む凄まじいモラハラがあったと言われています。

『クレイマー、クレイマー』で共演したダスティン・ホフマンとメリル・ストリープ ©getty

 スペイシーとホフマンの件が明らかになったのは、両者とも事件から30年以上経過した告発がきっかけです。この2件に限らず、被害者がすぐにセクハラを訴え出ないケースは多く、その事情が理解できないため、何か裏があるような疑いを持って被害者を見る人も少なくないようです。しかしそもそも性犯罪は、恥辱を受けるという精神的苦痛が大きい犯罪です。被害者は思い出すたびに屈辱感や怒りに囚われながらも、性犯罪というナイーブな問題ゆえに、恥ずかしさによって過去を封印したりします。または事実を公表することで、規模は人それぞれ違えども、好奇心や悪意によるセカンドレイプが起こりかねません。さらに加害者が社会的地位であったり、巨大な権力を後ろ盾にしていた場合、個人が被害を訴えてももみ消されたり、これまでの生活の糧をなくす可能性すらあります。そんな二次被害も併せて起こり得るため、被害者は訴え出る気力を失うのです。

1本の矢では折れてしまっても、3本なら強靭さを得る

 しかしワインスタインがスパイを雇ってまで、訴え出る女性たちの横の連帯を断ち切ろうとしたことにこそ、突破の糸口があります。1本の矢では折れてしまっても、3本なら強靭さを得るように、複数の証言は事の大きさを伝え、事実の信憑性を増していきます。そして普段なら隠蔽する業界も見過ごせない状況にまで、世論が追い込むように動きます。

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 我々もじつは関係者です。金や名声によって隠蔽しようとする抑圧の力を、世論という声の大きさではねのける役割を担っています。次々とセクハラ被害を訴える人が現れるのは、世間の認識が広がり関心が深まっている現在、加害者の責任を問うならいま訴えるしかないからです。「なぜ30年も経って」ではなく、「やっと30年経って」理解される土壌が生まれ、ようやく訴えることのできた人々。もちろん、世間が飽きたらまた隠蔽体質に舞い戻る焦燥感も後押ししています。世間と言われる立場の人間も、長いものに巻かれたり、傍観はせずにパワーハラスメントをくつがえす動きに同調したいものです。