大山の「マン振り」と現役時代の田淵幸一さんとの違い
さらにもう1つ挙げると、彼は「遠くに飛ばそう」と考えるあまり、力んでスイングするクセがある。たしかに大山は遠くに飛ばす力を持っているが、強振、いわゆる「マン振り」をして飛ばそうとするときがある。これでは力みにつながって内野フライや空振りが多くなってしまう。
私の現役時代に見ていた田淵幸一さんは、決してマン振りするようなスイングではなかった。スイングが小さくても遠くに飛ばす技術を兼ね備えていた。田淵さんが「ホームラン・アーティスト」と呼ばれていたのは、豪快なフルスイングではなく、ボールをとらえてから滞空時間が長く、美しい軌道を描いてスタンドインさせることに多くのファンが魅せられたからこそついた称号なのだ。
伊藤、佐藤、中野……新戦力の台頭
何度も言うが、「4番・大山」に固執する必要はない。もっと気楽な打順で伸び伸び打たせたほうが、彼の長所を発揮できるのではないかと、私は考えている。
最終的にはヤクルトに逆転を許したものの、今年の阪神が躍進したのは、まぎれもなく新戦力の台頭だった。投手で言えばJR東日本からドラフト2位で入団した伊藤将司、野手で言えば近畿大からドラフト1位で入団した佐藤輝明、三菱自動車岡崎からドラフト6位で入団した中野拓夢の3人のルーキーの存在が大きかった。
とくに阪神の前半戦の大躍進の背景には、佐藤の活躍なくして語れない。東京オリンピック前の前半戦だけで20本塁打を放ったときには、多くの阪神ファンにこんな期待を抱かせた。
「1959年の大洋の桑田武と、86年の西武の清原和博の31本塁打の新人本塁打記録を抜くのは佐藤しかいない」
だが現実は甘くなかった。東京オリンピックが閉幕して後半戦が始まると、佐藤の打撃は一転、三振と凡打の山を築き、大不振に陥った。
極めつけは8月21日の中日戦の第4打席で放った安打以降、59打席連続無安打という、NPB野手のワースト記録に並ぶ不名誉な記録を作ったことだった。結局、後半戦の佐藤はまったくふるわず、最終的には126試合に出場して打率2割3分8厘、24本塁打、打点64、三振数173という成績に終わった。