夜道で人とすれ違うたび、いつも自分の死後を想像する。主にわずかな財産の分配先だ。パソコンはあの子へ、口座の預金はあの子へ……よく考えればおかしい。なぜたかだか暗がりにいるだけの他人に本気で殺されるかもしれないと身構えねばならないのか?
この日常を静かに支配する恐怖には根拠があり、決して「当たり前」の状況ではない。そう教えてくれたのはソルニットだった。
『私のいない部屋』は、ソルニットの自伝的エッセイ集として位置づけられているが、ソルニットの語る自己は常に社会の中にある。
「物書きや歴史家の仕事には意味がある。過去の物語が新たに書かれるとき、未来の物語もまた違ったものになるのだ」――ソルニットは本書のなかでこのように語っている。われらは日々過去について言及し、その語りを未来の決定を左右するために参照するのだから、まさしく過去語りとは未来の創造に等しい。本書は明確に未来を見据え、そしてソルニットが直面してきた“景色の残酷さを書き換えようとする”、ぎりぎりの希望によって力強く立つ。
景色を書き換えるとはどういうことか? 重要なのは文体である。
ソルニットの文体は流麗にして精緻、そしてとてつもなくしつこい。この美しい執拗さは好き嫌いの分かれる部分だろうが、同時にエッセンスだ。波が岩を削るように、ソルニットは寄せては返す美文を以て風景を掘削するからである。
たとえば本書収録「戦時下の生活」は、レイプ被害者のPTSD罹患率は戦闘経験者よりずっと高いことを念頭に置いたタイトルだ。ソルニット愛用の机は元恋人に体を15回刺された女性――犯人は罪に問われなかった――から贈られたもので、ソルニットの住んだアパート周辺でかつて殺された女性は「性的放縦」を理由に扇情的な報道の対象とされた。あらゆる場所に、誰からも相手にされなかったマイノリティたちの叫びと痛みが介在していた。積み重なった過去はちょうど新しい壁紙の下に古い壁紙が眠るように、われらの爪でも削れる場所に隠蔽され、白日のもとに晒される日を待っているはずなのだ。もちろん絶望からは逃げ切れない、しかし絶望を語り直した先に初めて可能な修復があった。
書くことはわれらを押しつぶすものに対してわれらが立てられる鋭い爪である。書くことは死者/生者の記憶を引き継ぐための声である。ゆえに本書はソルニットの物語ではあるが、“ソルニットだけ”の物語ではない。ソルニットの文章は長く名前を遺す印象的な言葉である以上に、景色に入り込んでその形を変えてゆく多声的なエネルギーなのだ。
書いて/語って世界が変わるわけがない、と疑うなら、本書を手に取るがいい。あなたの手に爪は備わっていると、この本が教えてくれるはずだから。
Rebecca Solnit/1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院修了。著書に『災害ユートピア』『説教したがる男たち』など。
たかしまりん/1995年東京都生まれ。ライター、アナーカ・フェミニスト、中世社会史研究者。『文藝』等に寄稿。