新著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』が話題のブレイディみかこさんと、『分解の哲学』(サントリー学芸賞)などの名著で知られる歴史学者・藤原辰史さんとの特別対談が実現。言葉が拓く可能性からコロナ禍を生きるためのエンパシーまで、縦横無尽に語り合った。(全2回の2回。前編を読む)

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「想像力と言葉」によってできること

ブレイディ 藤原さんは昨年大変話題になった論考「パンデミックを生きる指針」のなかで、文系学者は「想像力と言葉しか道具を持たない」と書かれていましたね。治療薬やワクチンを開発したりはできないけれど、想像力と言葉によって「人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別する」ことはできる、と。この想像力と言葉って繋がっていますよね。

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藤原 深く繋がっています。

ブレイディ 言葉で想像力って喚起されるものだし、言葉がないと想像することもできない。言葉による「ここではない世界への想像力」って、まさにエンパシーを働かせる、〈他者の靴を履いてみる〉ことにそのまま繋がっていくと思うんです。

 たとえば、若き金子文子が自殺を踏みとどまった瞬間――日々虐待されてつらい思いをして死のうと決めて飛ぼうとしたのに、セミの声を聞いてパッと世界を見たら違って見えたというのは、考えてみればすごい話です。

 なぜ死のうとしていた人がセミの声を聞いただけで「世界は美しい、世界は広い」って思えたかといえば、それは想像力にほかならない。ここじゃない世界があるという「オルタナティブな世界を想像する力」、エンパシーによって命を救われたのだと思います。

“ヤンキーたちの靴を履いてみた”体験

藤原 まさしくそうなんでしょう。ちょっと個人的な話をすると、〈他者の靴を履く〉という言葉を聞いて思い出した高校時代の記憶があります。当時、私は優等生気質の生徒だったから、まわりはブカブカのボンタンを履いて長ランか短ラン着ているのに、まじめに標準制服を着ていたので、周囲から浮いていたんです。ところが3年生になって就職活動が始まったら、突然私のファッションが脚光を浴びた。就職活動の面談に長ランは着て行けないので、普段ツッパっていた友だちが「辰史、ちょっと貸してくれ」と(笑)。

 

ブレイディ ハハハハハハ!

藤原 僕は交換して貸してる1ヶ月間ずっとドキドキしながら、裏地が紫色のギラギラした長ランを着ていたんですが、なんだかすごく楽しいんですよね。彼らはぎゅうぎゅう詰めの校則のなかでこんなふうに反抗していたのか、と。普段なかなかお近づきになれないヤンキーたちの靴を履いてみた体験でした。

ブレイディ そうやって自分が着たことのない服を着て、「違う立場の人はどう考えるんだろう?」って視野が広がると、自分が狭い固定観念に縛られていたことがわかるし、いまとは違う状況も容易く想像できるようになりますよね。