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「怖かった、正直」「不安と戦っていくしかないと思った」華々しいデビューから一転“不遇の時代”に…嵐メンバーが振り返った“辛い記憶”

「怖かった、正直」「不安と戦っていくしかないと思った」華々しいデビューから一転“不遇の時代”に…嵐メンバーが振り返った“辛い記憶”

『平成のヒット曲』より #2

2021/12/06
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 Netflixによるドキュメンタリー『ARASHI’s Diary -Voyage-』のエピソード8「SHO’s Diary」で明かされた彼のヒップホップとの出会いは、中学校1年生の時に聴いたスヌープ・ドッグの「Who Am I(What’s My Name)」(1993年)。2008年10月25日に放送されたTBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の嵐特集に櫻井が寄せたコメントでは、1996年、彼が中学校3年生の時に日比谷野外音楽堂で開催された日本のヒップホップの伝説的イベント「さんピンCAMP」にも影響を受けたことを明かしている。好きなアーティストにZeebra、ライムスター、BUDDHA BRANDやShing02を挙げるコアな日本語ラップのファンでもあった。

「ラッパーがいるアイドルグループの先駆的な存在」として知名度を広めていくことはなかった

 RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWがブレイクを果たし、ラップをフィーチャーしたヒット曲が日本においても珍しいものではなくなっていった00年代前半の音楽シーンの潮流とも嵐は並走していた。

 櫻井が出演したドラマ『木更津キャッツアイ』(2002年)の主題歌「a Day in Our Life」は少年隊の楽曲「ABC」をサンプリングし、櫻井のラップを大々的にフィーチャーした一曲だ。楽曲を手掛けたのはDragon Ashとも頻繁にコラボしていたミクスチャー・バンド、スケボーキングのSHUNとSHUYAである。

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 そして、デビュー曲では作詞家が書いたフレーズをラップするだけだった櫻井も、2ndアルバム『HERE WE GO!』(2002年)収録曲「Theme of ARASHI」ではすでに自らリリックを書くようになっていた。『ARASHI’s Diary -Voyage-』ではデビュー後に知り合ったm-floのVERBALから「櫻井君、せっかくラップやってるのになんで自分で書かないの」と言われて衝撃を受けたことがきっかけだったと明かしている。

 そうして櫻井が書いたリリックは徐々にオリジナリティを研ぎ澄ませていった。アルバム『ARASHIC』(2006年)のリード曲「COOL & SOUL」は全編彼の手によるラップが押し出され、『Dream “A” live』(2008年)収録の「Hip Pop Boogie」には「大卒のアイドルがタイトルを奪い取る」という、韻を踏みつつ自身のアイデンティティを表明するパンチラインもある。

 しかし、こうした楽曲がシングル表題曲としてヒットし、嵐が「ラッパーがいるアイドルグループの先駆的な存在」として知名度を広めていくことはなかった。