こうした櫻井のラッパーとしてのスタンスは「サクラップ」という愛称と共にファンには親しまれてきたが、櫻井自身も親交のあったケツメイシやm-floとの同時代性が語られることはほとんどなく、ヒップホップがJ-POPのメインストリームに浸透していった00年代の潮流の中で嵐という存在が正当に評価されてきたとは言い難い。そのことも不思議な点だ。
『ARASHI’s Diary -Voyage-』にはm-floのVERBALも登場し、櫻井との対談で「TERIYAKI BOYZ始めたから一緒にやんない? とか、そんな話も俺たちしてたよね」と、結成前のTERIYAKI BOYZのメンバーに櫻井を誘っていたことも明かしている。
そのTERIYAKI BOYZが、カニエ・ウェストやファレル・ウィリアムスとの共演も実現したアルバム『SERIOUS JAPANESE』をリリースしたのが2009年である。クリス・ブラウンやマーク・ロンソンも楽曲のプロデュース陣に並んだ本作は、日本が海外のヒップホップやポップミュージックの第一線と結びついたこの時期唯一の作品だ。
嵐とアジアのポピュラー音楽の勢力図
2019年、デビュー20周年を迎えた嵐は、公式YouTubeチャンネルを開設しミュージックビデオを解禁。ストリーミングサービスでも楽曲を配信し、SNSでの公式アカウントも開設した。11月には初のデジタルシングル「Turning Up」を発表し、2020年1月には世界的に活躍するオランダ出身のEDMアーティスト、R3HABによる同曲のリミックスを発表。9月にはブルーノ・マーズが楽曲制作とプロデュースを手掛けた全英語詞の「Whenever You Call」をリリースしている。
2020年、活動休止を目前に控えた嵐は、まさに“J-POP代表”として海外のポップミュージックの第一人者とクリエイティブな結びつきを果たしていた。
10年代はBIGBANGやBTSなどK-POPのボーイズグループがEDMやR&Bやヒップホップなど北米のポップミュージックの潮流と同時代性を持った音楽性でアジアから世界各国へと支持を広げていった時代でもある。
もし嵐の動きが10年早かったら。2009年の時点で本格的な海外戦略とデジタル配信に舵をきっていたら。ひょっとしたら、アジアのポピュラー音楽の勢力図は違った様相を見せていたかもしれない。そんなことも考えてしまう。
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