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 それに、「自分の力で成功したい」「何かで名を残したい」と思ってアメリカに出てきたのに、このまま日本に帰ったら、実家で甘えてしまうと思ったんです。なのでアメリカに残ると決めて、そこから職探しを始めました。

もっと人の役に立つ仕事がしたい

──2人のお子さんを抱えながらの職探しは大変でしたよね。

YURI はい。人種や年齢、性別で差別されないアメリカなら、いくらでも働く場所があるだろうと思っていたんですが、面接を受けては落ち、の繰り返しでした。ようやくカレーチェーンのお店で雇っていただき、1年間働いた後に美容系の会社に転職。セールスでトップになるほど売上をあげ、ようやく人並みのお給料もいただけるようになりました。

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──順調に聞こえますが、なぜそこからポリスになろうと思ったのですか?

YURI 私には、「自分の力で成功したい」「何かで名を残したい」のほかにもうひとつ「人の役に立ちたい」という人生の目標がありました。美容の仕事は楽しかったんですが、もっと人の役に立つ仕事がしたいという思いが日に日に強まっていったんです。

 そこで、紙に自分の短所と長所、思いつく限りの職業を書き出して、どれが自分にできそうか棚卸ししてみたところ、最後にポリスが残りました。考えたこともなかった職業でしたが、日本にいた時には刑事ドラマや警察官のドキュメンタリー番組などを見てかっこいいと思っていたこともあり、目指すことにしました。

©iStock.com

仕事をやめて試験に臨むが…

──「なろう」と思ってなれるものではありませんよね。採用条件や試験など、かなりハードルが高いのでは?

YURI 高い壁だらけでしたよ。ポリスになるためには、その前に6ヵ月間警察学校(ポリスアカデミー)で訓練を積まないといけないのですが、言葉はもちろん、アメリカ国籍のない私は、最初はアカデミーへの入学申請すらできない状況でした。

 なんとか受験資格を満たし、受験に集中するために、必死で働いて半年分の生活費を貯めて仕事をやめて背水の陣で試験に臨みました。でも、まったく受からず、5ヵ月目に貯金が底をつきました。それでも諦められず、日銭を稼ぐためにガレージで働き始めた時にようやく筆記試験に合格しました。

 ところが、今度はアメリカのハイスクールの単位がないからダメと言われ、また落とされたんです。そこで、仕事と子育てをしながらハイスクールの科目を勉強し直しました。英語と数学と理科はよかったんですが、社会は国によって視点も結論も違うので大変でしたね。4回落とされましたが、何とか単位取得ができました。