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王にも、星野にも、持論をぶつけていく

 1966年(昭和41年)7月生まれの加藤には、本格的な野球経験はない。小学生時代から26歳まで続けていたのはテニスだった。

「トレーナーとか、コーチングの方に興味があった」と順天堂大体育学部では運動生理学を専攻、さらに筑波大大学院体育研究科でスポーツ社会学を学んでいる。

 1993年(平成5年)にダイエーへ入社すると、すぐに「稚内へ行ってくれ」

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 当時、隆盛を極めていた陸上部の合宿先だった。

 1988年(昭和63年)ソウル五輪、1992年(平成4年)バルセロナの両五輪でいずれも4位入賞を果たした男子マラソンの中山竹通ら、日本を代表するマラソンランナーを育てた名コーチ・高橋進の担当を命じられたのだ。

 野球界でも王をはじめ、楽天に入団した2012年(平成24年)から2年間、監督はあの闘将・星野仙一だった。

「僕らの分からないところを極めた人たちなんです。こういう方々に物おじせずに、僕は一緒にいられるんですよね」

 高橋にも、王にも、星野にも、臆することなく持論をぶつけていく。

“プロではない野球人”の確かな実績

 楽天時代、監督の星野に先発ローテーションの構成を提案したことがあった。

 まず、カード初戦にエースの田中将大が投げる。次の日は、左の川井貴志か辛島航、3日目には、右の軟投派の外国人、ブランドン・ダックワースという組み合わせだ。

「テニスでもそうなんだけど、球の軌道が変わると、打つ側のポジショニングだって変わるんですよ」

 そのプランを、元中日のエースで、監督としても中日で2度、阪神で1度のリーグ制覇を果たし、3球団目の楽天では日本一にも導くその名将に、ずけずけと提案するのだ。

 その道の素人が、功成り名遂げた名人に説教するようなものだ。

「星野さんは、それを『バカだな』と言うのじゃなく『加藤、面白いぞ』と受け入れてくれるんです。でも、こうも言われましたね。『お前だけだ、こんなにしつこく言ってくるヤツは』って」

 ソフトバンク退団後の2006年(平成18年)から6年間、世界的スポーツメーカーのナイキで、プロ野球選手をはじめ、数々のアスリートにも接してきた。

 そんな“プロではない野球人”の確かな実績に、オリックスは着目していた。

 球団社長の湊通夫が自ら、2013年(平成25年)のクライマックスシリーズ開催中の仙台まで直接足を運び、加藤へ入団要請を行ったという。

 まさしく、三顧の礼でオリックスに迎え入れられたのだ。