“王道”は受け継がれている
加藤が入団する直前の2013年まで、オリックスは5年連続Bクラスだった。近鉄との球団合併後の9シーズンで、Aクラスも1度だけ。最下位も3度と、長き低迷から抜け出せないままだった。
「あんまりその印象がないんだよ。ここに行くと決めて、オリックスの球団の歴史を見てみたら、最後の優勝って、イチローがいた時(1996年=平成8年)なんだね。それには、ちょっとビックリしました」
加藤は、弱いチームが強くなっていくプロセスを、ダイエーでも楽天でも見てきた。
万年Bクラスだったダイエーは、かつて西武の黄金期を築いた根本陸夫という「球界の寝業師」によって、全国に張り巡らされた情報網から、選りすぐりの逸材を発掘してきた。
その選手たちを、王貞治が我慢強く、大きく育つことを信じて使い続けた。
そうやって小久保裕紀(2022年からソフトバンク2軍監督)も、井口資仁(現千葉ロッテ監督)も、松中信彦(現野球評論家)も、城島健司(現ソフトバンク会長付特別アドバイザー)も、一流選手への階段を駆け上がっていった。
小久保は通算2041安打で名球会入りを果たし、第4回WBCでは日本代表監督を務めた。井口はメジャーに渡り、シカゴ・ホワイトソックス時代には二塁手のレギュラーとして活躍、ワールドシリーズ制覇にも貢献した。松中は2004年(平成16年)に、平成ではただ一人の、打撃部門の「3冠王」に輝き、城島はメジャーで「日本人初の捕手」としてプレーした。
王の教え子たちは、さらなる高みを目指して挑戦し続け、今なお、野球界で後進たちの指導にあたっている。脈々と、その“王道”は受け継がれているのだ。
楽天では、加藤がチーム統括本部長を務めた2年目の2013年、球団初の日本一に導いた。
オリックスが近鉄と球団合併、楽天が新規参入を果たしたのは、ともに2005年(平成17年)のこと。スタートは同じで、しかも近鉄とオリックスの両球団の主力を集めて発足したオリックスより、寄せ集めからスタートした楽天の方が、先に日本一になったのだ。
「9年間」の差は、どこでついたのか。
その“変貌のノウハウ”を知る加藤に、オリックスは再建を託したのだ。
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