スカウティング革命のプロセスとは
東京五輪は、コロナ禍で1年延期の2021年(令和3年)に開催された。
前述したように、吉田がクリーンアップを打ち、山本はジャパンのエースとして開幕戦を担い、日本代表は金メダルに輝いた。
そして、2021年のペナントレースを沸かせたオリックスの快進撃も、シーズン終盤に死球を受け、右尺骨骨折での戦線離脱があったとはいえ、打率.339で2年連続の首位打者を獲得した吉田正尚と、シーズン15連勝での18勝、規定投球回到達では両リーグでただ一人の防御率1点台となる1.39、奪三振は206で2年連続、さらに勝率1位の「投手4冠」に輝いた山本が、チームをけん引し続けた。
吉田正尚、2015年(平成27年)ドラフト1位。
山本由伸、2016年(平成28年)ドラフト4位。
加藤がオリックスの編成とスカウト部門を担ったのは、2014年(平成26年)からの3年間のこと。吉田や山本のような好素材を発掘し、育てていくというその道筋をつけたのは、加藤の「目」による「スカウティング革命」の力でもあった。
そのプロセスを、これからたどっていく。
「未来図を描く」ということ
加藤は1998年(平成10年)から8年間、ダイエー、ソフトバンクを通し、当時の監督だった王貞治(現ソフトバンク球団会長)の監督付マネジャーを務めてきた。
「王会長の動きを見ていたら、これは東京五輪で野球が入る、っていうのは予想できていたからね」
日本の野球界を代表し、メジャーでもその名が知れ渡っている。
その王が、精力的に動いている。五輪での野球競技復帰へ向け、機運は高まっていた。ただ、それが決まってから、アクションを起こすのでは遅いのだ。
未来図を描く。それは、こうなるという「構想」を打ち立て、自らが動き、周りを巻き込んでいくことで、その輪をさらに大きく、確固たるものとし、そのプランを現実のものへと変えていくことでもある。
加藤はアグレッシブに動く。突破力も半端ではない。弁も立つ。
「俺もスポーツの世界に25年くらいいて、いろいろな偉い人たちがいたじゃん? 俺がうまくやれたのは、そういう人たちが俺を買ってくれたのよ。王さんだったり、星野さんだったりね。敵対関係じゃなく、俺を守ってくれた人がいたからなんだよ」