1941年12月8日、日本軍はオアフ島真珠湾の米軍基地や艦隊を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。圧倒的な国力の差があったにもかかわらず、なぜアメリカとの開戦に踏み切ったのか?  声高に即時開戦を主張する軍部に対し、昭和天皇が漏らした本音とは……。

 日中戦争から日米開戦に至るまでの、天皇と軍部とのギリギリのせめぎ合いを、『日本のいちばん長い日』コミカライズ版(画・星野之宣)から振り返る──。

「アメリカと戦う? 絶対に勝てるのか?」

 1937年、一発の銃声が北京郊外の盧溝橋に響き、関東軍と中国軍が衝突した。日中戦争の始まりだ。増援軍の派遣を求める陸軍に対し、「これ以上、戦線を広げてはならない」と天皇は釘を指す。「2、3か月で片づくでしょう」との杉山元陸軍大臣の言葉とは裏腹に、戦いは泥沼の様相を呈した……。

ADVERTISEMENT

 
 
  国際的な批判が高まるなか、日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結び、仏領インドシナ南部に進駐の挙に出た。この動きにアメリカは警戒を強め、イギリスやオランダとともに、日本への石油供給を完全に絶ってきた。「石油が底をつけば、海軍は戦いたくても戦えなくなります」海軍首脳は訴える。
 
 

 「戦えるうちに、アメリカを叩くしかありません」陸軍大臣から参謀総長に転じた杉山はこう進言する。

「アメリカと戦う?  絶対に勝てるのか? 杉山、お前は満州のときもすぐに片づくと申したが、まだ終わっていないではないか」

「大陸の奥地は、広うございましたから」とさらに弁明する杉山に、天皇は厳しく言い寄る。

「太平洋はもっと広い!!」