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宮さまの結婚相手・紀子さま

 娘の紀子さまが、同じ学習院大学で1年先輩の「礼宮さま」(現・秋篠宮文仁皇嗣殿下)と親しく交際している。そんな情報を内藤記者はいち早くキャッチしていた。

ご結婚前、学習院大学のある東京・目白駅前商店街にあるレストランでのデート風景 宮内庁提供

 皇室ではこの時期、礼宮さまと兄の浩宮さま(現・徳仁天皇陛下)が、そろって結婚適齢期を迎えていた。誰と結婚されるのか、については、今以上に世間の関心が大きかった。新聞社としては、「宮さまの結婚相手」はなんとしても「トクダネ」で報じたいと思っていた。

 当時、私は30代前半。支局勤務を経て東京社会部記者となり、事件はもちろん、上野動物園のパンダの妊娠や中国残留孤児の親探し、大学の教育改革など、実にさまざまなテーマの取材に関わっていた。

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 先行していた内藤記者の取材に若い私が加えられたのは、「女性の視点」から、お相手の女性をみてほしいという会社の考えがあったように思う。今思うと、なんとも時代遅れで取材相手にも失礼な話だが、当時は大真面目だった。

 そもそも新聞社は、長らく典型的な「男の職場」だ。ニュース記事は男性が書くもので、女性はニュースの「ネタ」になる側だった。「結婚までの腰掛けではないか」「夜勤や宿直ができるのか」等々の理由で、女性記者の採用には社内の反対も根強かった時代だ。

 私にも入社以来、「初の県庁クラブ女性記者」など「初モノ」の肩書きがついて回っていた。100人を超す大所帯の東京社会部に女性記者はほんの4、5人。最も若い私はパンダ並みの注目度で、女性のからむ取材はなんでも降ってきた。

「紀子のことはよくわからない」

 初めて訪れた川嶋さんの研究室は本や書類が積み上げられ、いかにも教授の仕事場然としていた。机の上に、幼い紀子さまの小さな写真が飾ってあった。黒っぽい乗馬帽をかぶり、白いポニーにまたがってまっすぐに前を向いた愛らしい姿。一家がウィーンにいた頃の撮影と聞いた。

 経済、乗馬といった話に続き、ようやく本題の紀子さまと礼宮さまとのおつきあいの話になったとき、私は心底びっくりした。

「紀子のことは僕にはよくわからないから、本人に直接聴くよう、内藤さんにも申し上げてきたんです」

 と、川嶋さんが言ったからだ。

川嶋紀子さん(当時) 宮内庁提供

 お妃選びは歓迎されない取材だと感じていた。浩宮さまのお妃取材にもどっぷり関わったが、若い女性の家に突然押し掛けても、まず、インターホン越しで終わった。玄関に入れてくれれば「御の字」。どの家でも親の困惑と警戒感がひしひしと伝わってきた。まして、新聞記者に娘を会わせるなんてことはめったになかったから、川嶋さんの反応は、意外に感じられたのだ。