慶応4年1月3日。洛南の鳥羽街道で、新政府軍と旧幕府軍との武力衝突が起きた。戊辰戦争の幕開けとなる「鳥羽伏見の戦い」である。
新選組は旧幕府軍として戦闘に参加したが、新政府軍の最新銃火器の前に惨敗を喫する。山崎蒸、井上源三郎らが戦死し、生還できたのは150名中80名に過ぎなかった。
「もはや刀や槍の時代ではなくなった」
戦闘の後、土方歳三はこう嘆いたという。
新選組は、武士にあこがれた町民、農民らを「鬼の副長」土方歳三が鉄の規律の下に鍛え上げ、最強の剣客集団となった。「現実の武士以上に武士たろう」とした結果、「士道不覚悟」の理由で、多くの隊士が切腹を命じられることになる。
厳罰と粛清の嵐が吹き荒れる中、新選組の在り方そのものに疑問を呈する隊士も現われた。新政府軍との近代戦で敗れる前に、内部崩壊の芽が育まれていたのかもしれない……。
『新選組血風録』収録の「胡沙笛を吹く武士」を題材に、剣のみを信じ、時代の奔流に抗い続けた男たちの軌跡を辿ってみる。
新選組隊士と京娘の出会い
真葛ヶ原を訪れた京娘”小つる”は、林の中から聞こえてくる笛の音に気づいた。どこか哀しげな笛の音に誘われて近づくと、そこには一人の武士が……。
林の中で笛を吹いていたのは、新選組隊士・鹿内薫だった。
「胡沙笛といって、私の故郷の南部藩で蝦夷(アイヌ)の人々が吹いていた笛です」
雨宿りをした鹿内と小つるは急速に親しくなっていく。鹿内が髪結いをしている小つると会うときは、家の近くで胡沙笛を吹くのが二人の合図だった。
旅籠に張り込んで3人の長州浪人を斬った武功により、鹿内の評価は高まり、自信に満ちているように見えた。しかし、同僚の原田左之助だけは「鹿内は女ができたな」と看破していた。
隊士が増員され、鹿内は助勤に昇格した。鹿内は手頃な家を借り、小つると一緒に住むようになる。
勤皇派志士がクーデター計画を密議した「池田屋事件」の当日、鹿内は現場に向かう途中で薩摩藩士らと遭遇、同僚2人が斬り殺されてしまう。背中を斬りつけられた鹿内は恐怖にかられ、その場から逃げ出してしまう。
「ふかくでございました」
鹿内の苦しい弁明に、土方歳三は疑念の目を向ける。