メルケルvsプーチン
2014年のウクライナ危機に際して、西側代表としてプーチンとの外交交渉を担ったのがメルケルだった。KGB仕込みのプーチンの恫喝に動じない唯一の西側リーダーが彼女だからである。オバマはプーチンには関わりたくないと思い、それゆえ彼女に舵取りを任せた。
じつは学生時代にロシア語の弁論大会で優勝したこともあるメルケル。もちろんプーチンもドイツ語は得意だ。プーチンとの会話はいつもまずロシア語ではじまる。だが、このときはプーチンに道理を説こうとするあまり、「アンタは、国際法を公然と無視してる」と、ついタメ口のドイツ語になることもあったという。
対するプーチンは、「その軍隊は、我々ロシアの軍隊ではない」と嘘をつき、「誰でもロシア軍の軍服を買える」とあからさまな言い訳をした。「プーチンは現実から切り離された自分の世界に生きている」――メルケルはオバマに愚痴った。
メルケルは、21世紀の戦争における最も危険な武器は、戦車やミサイルではないと認識していた。サイバー攻撃、SNS、フェイクニュースなどがあらたな戦場となっている。プーチンは、いわばハイブリッド戦争を展開しているのだ、と。
ファクトをもとに責任を問う
一方でメルケルも、プーチンに対して独自の「欺瞞作戦」を使うこともあった。プーチンは、ソチオリンピックに引き続き、同地にて開催予定のG8サミットで、帝政ロシアの復活をアピールしようと目論んでいた。しかしメルケルは、ソチでのG8は開催しないと発表。プーチンの“パーティ”を台無しにしてみせた。のみならず、ロシアはもはやG8のメンバーではない、とまで述べ、プーチンに強烈なパンチを食らわせたのだ。
そして7月、一般市民を乗せたマレーシア航空の飛行機が、ウクライナ上空で撃ち落とされるという痛ましい事件が起きた。これをきっかけに、国際世論におけるロシアへの非難が高まり、ついにオバマも本気を出してメルケルを支援するようになる。
2014年9月、ベラルーシのミンスクにある独立宮殿の壮麗な式典の間には、紛争地域の地図に身をかぶせるようにして話し合うメルケルとプーチンの姿があった。ときには15時間ぶっ続けで話し合いを行った。供される食事が肉料理か、それともジャムを添えたパンかによって、夜なのか朝なのかがわかるという状態だった。
元科学者らしく事実をもとにプーチンを追及するメルケル。現地の航空写真や戦場地図、ロシア軍の最新の動きなど、分単位でアップデートされる情報を入手していた。一日ごとの民兵の動き、拠点として押さえた場所、犠牲者の数――ファクトがあればプーチンの責任を問うことができる。
9月4日、ミンスク宮殿にて停戦交渉が終わった。合意文書にはプーチンの署名もあった。