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「部屋に着いてから25分後でした」

「すぐにお腹をさすってあげましたが介護士の方が身体を拭いてくれるというので、父の頭や顔にそっと手を置きました。するとすぐに呼吸がすーっと落ち着いていきました。良かったと安心しかけたところで別の介護士の方が来て指先で血圧を計ったのですが、数字が出ない。あー親父は逝ったのかと悟りました。家族にはLINEで『様子がおかしいので来ています』と送っていたのですが、次の送信が『息を引き取りました』となってしまいました。あっという間に潮が引いていくような最期でした。時刻は午前10時20分。部屋に着いてから25分後でした。父は常々『痛みに苦しみながら死ぬのは嫌だ』と申しておりましたので、息子としては、酷い痛みに苦しむ前に最期を迎えたのは、それはそれで良かったのだと思います」

 石原さんは生前、延啓さんに遺稿「死への道程」を託していた。

「余命を宣告されたときの心情を正直に綴ったものです。父はこの原稿をすぐにでも『文藝春秋』に掲載してもらうことを望みましたが、病気が公になれば、闘病生活を静かに送ることができなくなるかもしれない。家族の判断で私たちの手元にとどめることにいたしました。あの父のことです。もしそのことを知ったならば烈火のごとく怒ったかもしれません。告知直後で体力的にまだ元気であった頃に書かれたこの文章は、身内からするとまだ格好つけているのではないかと感じられるところもあります。それでも、やはり父らしく死へ向かっていく父らしい文章だと思います」

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 「文藝春秋」4月号ならびに「文藝春秋 電子版」では、石原慎太郎氏の絶筆「死への道程」をはじめ、延啓氏のインタビュー「父は最期まで『我』を貫いた」を掲載している。

文藝春秋

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父は最期まで「我」を貫いた