20歳の決意
成人式当日、母が真剣な顔をして私に告げた。
「4年制の大学に通わせたと思って、同級生たちが卒業する22歳までは待ってあげる。そのとき箸にも棒にも掛からないようだったら、さっさとやめて就職しなさい」と。
期限を突き付けられ、崖っぷちに立たされた私。でもこの世界で生きていきたいと思って、考えて考えて自分なりの目標を導き出した。それは、オファーを頂いても自信がないと「ちょっと無理かな? 難しいかな?」と尻込みしてしまう自分に発破をかけるためのものだった。
「難しいかもと思うことでも、とりあえずやってみる。やらずに諦めることはしない。やってみて、どうしてもうまくいかなければそのとき考えよう、それからでも遅くはない、自分で自分の可能性を狭めることはしない。私にできるんじゃないかと思ってくれた人を信じよう!」と。
それからというもの、私なりにできる限りのチャレンジをしてきた。よく言われるレポーター時代の熊に噛まれたことや鹿に蹴られたこと(※1)もそうだし、すでに歌手としてデビューしていたのに一般公募のオーディションを受けて、憧れの萩本欽一さんの番組にレギュラー出演を果たしたこともそうだった。
そんなに目立つポジションではなかったけれど、頑張った手応えは少しずつ実を結び、お仕事も徐々に増えていった。
そしてその頃、出演していたラジオ番組に届いた「日髙さんは声に特徴があるので声優に向いているんじゃないですか?」というお便りがきっかけで声優を目指し、マネージャーさんの努力の甲斐もあって『超時空騎団サザンクロス』(※2)というアニメで声優デビューをすることもできた。それでもこの芸能界で生きていけるという確証を得るには、まだまだ足りないと思っていた。
※1 1984年~ 85年に放送されていたクイズ番組『SHARPワールドクイズ・カンカンガク学』のレポーターとして全国津々浦々を旅して回っていた当時、奈良公園では鹿せんべいを欲しがる鹿に蹴られ、群馬県宝川温泉では一緒に入浴した赤ちゃん熊にポニーテールの付け根を嚙まれたりと、かなり体を張った仕事をしていた。
※2 『超時空』シリーズ第3弾として1984年に放送されたSFアニメ。日髙の声優デビュー作で、異星人の音楽奏者ムジカ・ノヴァを演じた。敵である地球の少年兵と恋に落ちる役どころだった。