日ハムのマスコット「B・B」の葛藤

 先日、北海道日本ハムファイターズのマスコット、B・Bが球場での活動を休止すると発表した。

 理由は「世代交代」。メインマスコットの座をフレップに譲り、B・Bは「北海道みらい大志」として活動していくのだそうだ。詳細は北海道日本ハムファイターズのB・Bのコラムをご覧いただきたいが、その文章には葛藤が溢れていた。

 特に目を引いたのは「永遠の命を得る『特効薬』があることはあります。但し、それは『記憶』という大きな代償と引き換えになる」という一文。

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 特効薬。それは例えば……ボディチェンジのようなものと言えばいいんだろうか(ボディチェンジを知らない方はドラゴンボールを読んでみてください)。

 いや、なんというか「中の人」という表現をあんまりしたくないんだよなぁ。もう「マスコット」という枠で捉えられないほどアイデンティティを発揮している方もいらっしゃるわけですし。例えばつば九郎は誰がなんと言おうと「つば九郎」だしドアラも「ドアラ」だ。

 たとえ「中の人」という存在が当たり前だとしても、あの感じのつば九郎やドアラを他の人が出せるだろうか。誰かは今と全く同じB・Bになれるだろうか。

 なれたとしても、それにはしばらくの間の違和感と長い時間が必要だと思う。

 そしてある球団が「特効薬」を使ってしまった例を知っている。14年前の甲子園の話だ。

弱いタイガースで目立っていたトラッキー

 遡ることさらに数年。阪神ファンだった中学生の私は、よく甲子園に通っていた。当時の阪神はそれはそれは弱かった。大豊、タラスコが当たる気配のない空振りを繰り返し、今岡が信じられないエラーを何度も何度も犯し、藪は投げるたび炎上した。試合後にはメガホンの雨がライトスタンドから降り注いだ。野次と罵声が飛び交い殺伐としていた。信じられるのは新庄と遠山と伊藤だけ。そんな弱い弱い頃のタイガース。

 それでも、試合が進んでいくとトラッキーがライトスタンドに近づいてくる。おかしなポーズをとったり、フェンスに足をかけて逆さにぶら下がったり、帽子を吹っ飛ばしながらバック転したり。

背番号は誕生年の「1985」 ©文藝春秋

 横浜戦では佐伯とプロレスをしていた。タイガースの選手がホームランを打とうものなら、タイガースの選手にチョップを打たれるのも恒例行事になっていた。

 そして当時の私が何より楽しみだったのは、試合前にスタンドのファンと行うキャッチボールだ。

 トラッキーが助走をつけて思いっきり肩を回すと、ボールはライトスタンドの中段にまで届いた。山田やカツノリより肩が強いんじゃないかと思うぐらいだった。凄いなぁ、虎って凄いんだな。本当の虎みたいだ(流石に虎はボールを投げたりしないけど)。そんなことを思っていた。

 02年になって星野監督体制になったタイガース。トラッキーに追いつけ追い越せとばかりに、選手たちは強さを身につけていった。エラーばかりだった今岡は3割を打ち、濱中はスラッガーへの道を歩みだし、井川が二桁勝利を挙げた。トラッキーもそんなチームを鼓舞するようにさらに過激にパフォーマンスを磨いていった。

 しかし、03年のある日。球場に行った私は愕然としてしまった。トラッキーの様子がおかしい。