「バカルディ」から「さまぁ~ず」へ。「杉山えいじ」から「スギちゃん」へ。「スーパーカブ珍道中」から「パンサー」へ……。必ずしも成功するとは限らないものの、改名をきっかけにさらなる飛躍を遂げる芸人は少なくない。

 現在「くりぃむしちゅー(元・海砂利水魚)」のツッコミとして活躍する上田晋也氏も、改名が成功した芸人の一人といえるだろう。しかし、コンビ名改名直後には、これまでで“一番しんどかった仕事”が待ち構えていたという。ここでは、同氏の著書『激変 めまぐるしく動いた30代のこと』(ポプラ社)の一部を抜粋し、改名が決まった直後の有田氏のリアクション、そして「後悔した」「本当に参った」仕事の内容を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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「クリームシチューです!」と言ったら即採用

 有田の凹みようは尋常ではなく、サッカーワールドカップでPKを外した選手と同じ頭の抱え方をしていた(編集部注:TV番組『新・ウンナンの気分は上々。』でコンビ名の改名が突如決まった)。そして内村さんに対して懇願を繰り返していた。「さまぁ~ずも一度引退を保留したことがあったから、僕らも一度保留の権利をください」とか「くりぃむしちゅーは嫌だ」とか。それが受け入れられないと見ると、「せめてカタカナにしてください! “くりぃむ”は『くりぃむレモン』っていうエッチなアニメがあるので、我々も下ネタしかできなくなります!」と、犬養毅ですら「話せばわかる、と思ってたけど、今のだけはわからんわ」と言うであろう、見事に破綻した論理を展開し、却下されていた。

©getty

 しかし、本来文句を言いたいのは私のほうである。有田が、今までに見せたことのないとびっきりの笑顔で「クリームシチューです!」と言ったからそれが即採用になったこと。新コンビ名に私の希望や要素が一つも入っていないこと。そしてタチが悪いのは、私がクリームシチューが嫌いならば、それはそれで「なんで俺が嫌いな食べ物がコンビ名になるんですか!」と強く出られるし、そのあともネタとして話せるのだが、私もそこそこクリームシチュー好きであるということ。嫌いだ、と嘘をつけないくらい好きであるということ。

何年にもわたって、何度も改名を直訴していた

 文句の数は、海の家のメニューよりは豊富だったと思うが、私は一切文句を言わなかった。いや正直に言うと、内心は改名を喜んでいた。その当時、なかなか思うようには仕事が入っていない状況で、名前を変えれば売れる、などと脳みそに練乳かかってんのか、というような甘い考えは持っていなかったが、ちょいとした話題になって、一つのきっかけにでもなればいいな、と思ったから。