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 たとえば2010年代の流行語に「シンギュラリティ」という言葉がある。日本語にすれば「特異点」という意味の英語で、人工知能(AI)が人類の生物学的な知能を超える転換点、あるいはその転換によって生活や文明に大きな変化が起きるという思想を意味する。この数年で日本のマスコミも話題にするようになったので、耳にしたことのある読者は多いだろう。最近ではエンジニアやビジネスマンだけでなく、政治家もシンギュラリティについて語っている。

 しかしこの言葉の使用にはかなりの注意が必要である。むろん人工知能の普及が生活や産業を大きく変えるのはまちがいない。けれどもシンギュラリティは、けっしてそれだけの言葉ではないのだ。

「人工知能は2045年には人類の知性を超える」

 そもそもシンギュラリティなる言葉あるいは思想が注目されるようになったのは、アメリカの未来学者、レイ・カーツワイルが2005年に出版した『シンギュラリティは近い』という著作がきっかけだといわれている。同書は日本では『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』という題名で翻訳されている。

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 この著作でカーツワイルは、人工知能は2045年には人類の知性を超えるのではないかと予言している。この予言はよく引用される。2045年といえばわずか四半世紀後である。今年生まれた子どもが大人になるころには人間より機械のほうが賢くなると言われれば、だれでもそれはたいへんなことだと感じる。

レイ・カーツワイル著『シンギュラリティは近い エッセンス版』(NHK出版、2016年)

 けれどもカーツワイルの本を実際に読んでみると、その根拠はかなり薄弱であることに気がつく。彼の未来予測を支えているのは、情報技術の進歩はどんどん速度を増しているのであり、同じ傾向はこれからも続く、したがってあと40年もすれば驚くほどコンピュータの力は増しているはずだ、というただそれだけの直感にすぎないからだ。

「未来学」の誤りの繰り返しではないのか

 よく知られているように、集積回路の開発史には「ムーアの法則」と呼ばれる有名な経験則がある。この半世紀、コンピュータの計算速度は指数関数的に上昇し続けているし、メモリの価格も指数関数的に低下し続けている。たしかにそれは事実である。

 けれども集積回路の縮小には、常識で考えて物理学的な限界がある。またそもそも知性と呼ばれるものが、いまのコンピュータのかたちを維持したまま計算力の増加だけで再現できるかどうかも理論的に未知数のはずである。けれどもカーツワイルはそのような問題はまったく考慮せず、すべての問題は計算力の増加が解決すると仮定してしまっている。そして2030年代には脳の完全なスキャンとデジタル化が可能になり、2040年代には人間の知性を生物学的な限界を超えて拡張することが可能になると主張するのである。