この記事が公開される頃には、発売されているが私は「ニューズウィーク日本版」(2月23日発売号)の企画で今年1月から2月の中頃にかけて、「医療崩壊」をテーマにした取材をしていた。そこで、私が書いたのは医療崩壊について語っている「現場の声」のSNSやインターネット上で語られていることはほんの一部にすぎないということだった。
地道に実践を重ねて準備している人々はいる
大学病院、地域の基幹病院、クラスター支援に入る看護師、新型コロナ患者を診察する街のクリニック、そして訪問医療……。様々な現場に通い、声を集めてみて初めて見えることがある。一部の声をあたかもすべての「代表」であるかのように受け取ることは、「現場」を見誤る。「現場」は広範に広がっており、最前線はいくつも存在しているからだ。
インターネット上でさほど注目を集めないが、あるいはメディアを動かすような提言はしないが、しかし、地道に実践を重ね、「医療崩壊」を起こさないよう準備している人々はいる。
感染者が減らないことを前提に対策を取るべき
こんなことを考えたのは、東浩紀さんのインタビュー記事「『自由』」を制限してもウイルスは消えない」(「文藝春秋」3月号掲載)を取材・構成したことが大きい。東さんのインタビューは『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)以来だったが、洞察の視点はまったくブレがない。
記事で東さんが強調しているのは、「長期的な戦略として感染者が減らなかったらどうするか、という視点」だ。外出自粛や、接触を減らすこと、飲食店の時短営業で感染者が減ればいい。最後のカードとして緊急事態宣言を出し、感染者が減るのならばそれに越したことはない。だが、これで減らなければどうするか。減らないことを前提に対策を取ることを優先すべきであって、私権制限ばかり議論されるのは「感染症に対する恐怖に駆られ、『長期的に感染者は増える』という現実から目を逸らしているようにも見えます」という。