「いたるところから航空燃料ケロシンやプラスチック、タンパク質の燻る煙が立ち昇っている。なんとも表現しようもない嫌な臭いが辺りを包んでいた」

 今から40年前に報道カメラマンとして、世界最悪の飛行機事故「日本航空123便墜落事故」の現場を取材した橋本昇氏。400tのジャンボ機が山に衝突するという前代未聞の事故の様子とは? 橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全4回の2回目/最初から読む)

谷底へ落ちていたジャンボ機のエンジン。触れると冷たくささくれた感触があった ©橋本昇

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520人が死亡した「最悪の飛行機事故」の現場へ向かうと…

 墜落現場はどこか──ぶどう峠から南南東の方向で煙が上がるのを見た、という目撃情報もあった。まことしやかな情報が錯綜するなか、私は現場に向かう自衛隊員たちの車両の後を追った。彼らが向かう先は長野県から群馬県の下仁田へ抜ける県道124号線の、ぶどう峠だった。

 あたりはすっかり明るくなり、蝉が暑苦しく鳴き始め、また暑い一日が始まった。

 県道はいつの間にか狭い山道に変わり、所々盛り上がったわだちや鋭くとがった小石に車のエンジンは悲鳴を上げながら、曲がりくねった山道をぶどう峠をめざして登って行った。だが運転手は、「パンクしちゃった」。タイヤは完全に空気が抜けていた。仕方なく車を捨て徒歩で登っていった。背負ったリュックと、たすき掛けにした2台のカメラが、肩に食い込む。

 峠には、自衛隊や警察車両がすでに到着していた。隊員たちの話によると、墜落現場はここから山を二つばかり越えた「御巣鷹山」。その尾根付近らしいという。

 遠くでヘリの爆音が風に乗って聞こえてきた。道の脇へ入ると、山頂へ向かって真っ直ぐ伸びる道があった。その山道を自衛隊員たちの後からついて登っていった。

 直ぐに息が荒くなり、一歩踏み出すごとに、体中から倦怠感が波のように押し寄せてくる。一分一秒でも早く現場へ行きたいと焦る気持ちと疲労感が、交互した。

 ようやく一つ目の山の尾根付近までやってきたとき、前方にふらふらと歩いているスーツ姿の男がいた。