キャリア外交官として世界の最前線に立っていた雅子さまは、なぜその道を捨てて皇室へ入ったのか。元首相も称賛した実力と、皇室入りに伴う葛藤、そして“国際親善”に託した理想とは。美智子妃との対照から浮かぶ、異例の決断の真相に迫る。

 ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

異例づくめだった「雅子さまの皇室入り」とは? ©getty

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キャリアをなげうつ

 その後二人は長く会うことがなかったが、約6年の時を経て再会し、翌年の1993(平成5)年1月に婚約が発表された。

 この間、「小和田雅子さん」は外務省に入省し「経済局国際機関第二課」勤務、オックスフォード大ベリオールカレッジでの「FSX(次期支援戦闘機)の外交過程」の研究、「北米局北米第二課」勤務と、キャリアを重ねていた。北米第二課では、半導体交渉など日米貿易摩擦問題、外国人弁護士参入問題などを担当した。

 1991(平成3)年11月に竹下登元首相が米国のベーカー国務長官と会談した際、通訳として後ろに立つ姿は、中曽根康弘元首相、渡辺美智雄副総理兼外相(いずれも当時)と共に1枚の写真に残り、その後、ことあるごとにメディアに登場する。

 外務官僚として、国の中枢に関わる仕事をこなしていたため、結婚時も、その働きぶりについては週刊誌などが盛んに報道することになった。

「世界に誇れる女性外交官」

「いつも冷静に、淡々と、自分の仕事をこなしていた。私たちも見習うべきところが多かったですね」

 と、一緒にデスクを並べていた同僚たちは口々に証言する。仕事ができるだけでなく、周囲への気配りも忘れず、人望も篤かったという。まさに、外務省のスーパーレディと呼ぶにふさわしい存在だったのである。首脳会談などで何度か雅子さまの通訳のお世話になった海部俊樹元首相は、その人となりをこう語る。

「非常にひたむきに、淡々と仕事されていたのをよく覚えています。英語力はもちろん申し分なく、ハキハキして論理的、よく頭の回る方との印象を持ちました。日本の外務省も、世界に誇れる女性外交官を得たなあと思いましたね」(「フライデーSPECIAL」1993年6月26日増刊号)

 こうした数々の仕事は充実したものであっただろうし、入省から結婚のため外務省を辞めるまでの約6年間という歳月は、決して短くはない。

 これだけの社会人経験、職業経験を持つ女性が皇室入りするのは珍しく、働いた経験が全くないまま結婚した美智子皇太子妃とは対照的だった。