「皇室入り」することへの葛藤
20代後半に至る年代でのこうした十分な期間と経験を通して、「小和田雅子さん」が確固とした自分と確立された「個」を持っていたことは、当然と言える。
外務省での仕事にやりがいを感じていればいるほど、その「個」は強固なものだったはずだ。それだけに、外交官の地位と身分を捨てて皇室入りすることには、大きな葛藤があったであろう。婚約内定の記者会見で、自分の気持ちを率直に語っている。
外務省で大変やりがいのある仕事をさせていただいておりましたので、その仕事を辞めるべきかどうかということについて、だいぶ悩んだことはございました。ですから、この新しい決心をするまでに、十分に考える時間が必要だったということだと思います。(中略)
これまで6年近く勤めておりました外務省を去ることに寂しさを感じないと申しましたら、それはうそになると思います。外務省では大変やりがいのある仕事もさせていただいておりましたし、大変学ぶべきところの多い、尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれて、とても充実した勤務でございました。でも、昨年の秋、私は本当にいろいろと考えた結果、いま私の果たすべき役割というのは、殿下からのお申し出をお受けして、この皇室という新しい道で、自分を役立てることなのではないかと、そのように考えましたので、それで決心したわけですから、いまは悔いというものはございません。(1993年1月19日)
「皇室という新しい道で自分を役立てる」とは、具体的にどのような自分像を描いていたのだろうか。結婚当時の雅子皇太子妃の言葉からそれをうかがうことはできないが、後の「人格否定発言」の際に徳仁皇太子が口にした言葉には、うっすらとそれが表れている。
「雅子には、外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました」
外交官の仕事を「断念」したというのは重い表現だが、その分だけ外交官の仕事に代わる新しい役目に強い思いを抱いていたことが推察される。それはすなわち、「皇族としての国際親善」だった。