1986年、東宮御所でのパーティーで出会った浩宮と小和田雅子さん。初対面は「大変緊張した」ものの、会話は意外なほど弾んだという。外交官として歩み始めたばかりの彼女が抱いていた仕事と結婚の葛藤――その原点に迫る。

 ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

知られざる天皇と皇后の「最初の出会い」とは―― ©getty

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「小和田雅子さん」登場

 徳仁皇太子と「小和田雅子さん」の二人が結婚して「雅子皇太子妃」が誕生するのは1993(平成5)年のことだ。それ以前にもいわゆる「お妃候補」として名前が挙がり、マスコミに追い回される日々を過ごしたが、実は「小和田雅子さん」自体は、そのずっと前から一種の有名人だった。

 その名が初めてメディアに登場したのは、結婚から7年も前の1986(昭和61)年だった。当時22歳。10月、この年の外交官試験の合格者28人が発表され、その中にあった「小和田雅子さん」にメディアは注目した。父が現役の外務省条約局長であり、親子二代の、しかも女性の外交官が誕生したことに、ニュース性があると思われたからだ。

「小和田雅子さん」は新聞の取材を受け、その様子は写真入りで紙面を飾った。

「読売新聞」の記事を引用する。

 外務省は6日、61年度の外交官試験(外務公務員採用〔1〕種試験)の合格者28人(うち女子3人)を発表したが、この中で、小和田雅子さん(22)(ハーバード大)は、父の恒さん(54)も外交官。父娘二代の外交官は外務省では2組目だ。(中略)

 小和田さんは、現在、外務省条約局長の恒さんが、かつて客員教授をしていたことのあるハーバード大経済専攻を卒業、現在、東大法学部に在学中。父親の仕事柄、高校の途中からアメリカで暮らし、「外から日本を見ているうちに国際的、公的分野で仕事をしたくなった」と語る。恒さんも「自分で決めなさい、と見守ってくれた」という。

 最近は社会で活躍する女性が目立つとはいえ、女性外交官はやはりパイオニア的存在。しかも、父親と比較されそうだが、「父と私はタイプが違う。父を見本に、自分なりの道を歩みたい」と日焼けした顔をほころばせた。(「読売新聞」1986年10月6日夕刊)

 この記事を見るだけでも、男女雇用機会均等法の制定翌年だったこの年の女性外交官誕生が、世間の耳目を集めることだったことが分かるが、「朝日新聞」はさらに、実際に入省した後の1987(昭和62)年末にも、「花の同期がネットワーク 『霞が関』87年入省の女性たち」と題する特集記事を掲載している。

 これまで各省庁で孤立しがちだった「紅一点」たちが「同期会」を結成したとの内容で、厚生省(当時)に入省した東京大卒女性と並んで、「小和田雅子さん」が語っている。