「これで自分は結婚できないかも⋯」
外交官の父を持ち、幼いころから外国暮らしが長かった。外交官に、とはっきり決意したのは、アメリカ・ハーバード大学を卒業後、帰国するか、それともアメリカに残ってキャリアを積むか、の選択を迫られた時だった。
「アメリカに残ると根なし草になるような気がしたんです」
仕事を持って生きる、ということに迷いはない。
「ハーバードでは、女性でも仕事をもつのが当たり前でしたから」「ただ、いよいよ外務省から内定をもらった時、これで自分は結婚できないかもしれない、とも……。両立させたいですね」
今は、週3回の語学研修に汗を流しながら、連日深夜まで働いている。担当しているのは、経済協力開発機構(OECD)の環境委員会。会議に備えた資料の準備や、会議での日本政府の見解の調整をする役目である。
「夜2時に帰宅したら、母にきょうは早いわね、と言われちゃいました」
来秋からは2年間の計画でイギリスの大学に留学し、英語や学問にますますみがきをかける予定だ。ただ一つ、感じることは——。「日本では、女性というだけで珍しがられたり、外見のことを言われたりするのが、ちょっぴり残念です」(「朝日新聞」1987年12月25日)
この時点で、自身の結婚について触れ、できるのであれば、結婚と仕事を「両立させたい」と話しているのが興味深い。
いまでこそ、女性が仕事を続け、キャリアを積みながら、結婚、出産、育児を両立させるのが当たり前のように思われるが、当時「キャリアウーマンの先駆け」のように扱われた世代の女性たちは、一種悲壮な覚悟を持って仕事をしていただろう。
「男性並み」であることを求められながら仕事でキャリアを積み上げるには、結婚はできないかもしれない。でも、できるなら結婚もして、仕事と結婚生活を両立させたい。「小和田雅子さん」は当時そう思っていたのであり、やがてそれが「皇室による国際親善」と、「皇太子妃として家庭を持つ」ことの両立を目指すことになっていく。
仕事と家庭の両立を求める志向は、その後もずっと続いていったのであり、それは、結婚、出産、育児を経験し、長い時を経て皇后となった今でも変わらないことなのではないか。
実は、このインタビュー記事が掲載された時点で、若い「小和田雅子さん」は、すでに浩宮時代の徳仁皇太子と出会っていた。