「外では天女の顔だが、内では般若の顔だ」――。そんな激しい二面性を指摘する声もある美智子さま。その厳しさは、側近だけでなく、長男である徳仁天皇の幼少期の教育にも及んでいたとされる。

 だが一方で、その徹底した教育は、誠実さや几帳面さといった人格の核を形づくり、天皇としての資質に大きな影響を与えたとも指摘されている。

 本稿では、ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)より一部を抜粋し、厳しさと慈愛が交錯する「天皇家の親子関係」の実像に迫る。(全2回の2回目/最初から読む

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美智子さまのご教育とはーー ©getty

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関係者の声

 宮内庁内でも美智子上皇后を恐れる人は多く、近くで仕えた何人もの人は、幹部と言っていいほどの地位でありながら「今日もまた叱られるのかと思うと、朝行くのが憂鬱だった。叱られない日は心の底からほっとした」などと話す。

「外では天女の顔だが、内では般若の顔だ」と、激しい二面性を指摘する関係者もいた。皇太子妃時代に洋服の仕立てをしている際、体形の欠点を指摘されて物を投げつけたと聞いたこともある。

 そうした美智子上皇后の激しい気性は、当然ながらわが子浩宮にも向けられたであろう。しかし、その厳しい教育は、いくつもの麗しい成果ももたらしたようだ。

『浩宮の感情教育』には、次のような記述があり、徳仁天皇が幼い頃に身につけた人間としての美質に目を見開かざるを得ない。また、それをもたらした美智子上皇后と明仁上皇にも敬服するしかない。

 浩宮も日直当番は勿論あった。彼がサボったという記憶は全くない。たまには日誌も書いていた。字は上手とはみえなかったが、丁寧な字だった。作文の際の字と変らない几帳面な字で書かれていた。日誌は普通、急いで書いて早く帰ろうとするため、乱雑になりがちだったが、彼の場合はそういうことはなかった。いつもと同じで目立たないというのが、浩宮の特徴といえば言えた。

 別の頁では「ありがとう」という感謝の表現について、こんなふうに書かれている。

 また土曜日など、昼から午後にかけてのミーティングのときには、社問研のメンバーは学校の近くにあるそば屋からざるそばをとることがあった。浩宮は弁当をたいてい持ってきていたが、皆に付き合ってざるそばを食べていた。そして後片づけも、よく彼が一人でやっていた。高等科の用務の女性が通りかかって、そばの笊を重ねて運んでいる浩宮をみかけ「あら、宮様、運びますから……」と手を出すと、「ありがとう、でも運べますから」と笊を渡すことなく自分で持って行ったこともあった。こんなことも彼にとっては新鮮な体験だったのかもしれない。と同時に、自然に「ありがとう」と答え「でも運べますから……」と口に出るところに、いかにも育ちのよい人柄がにじんでもいた。浩宮は感謝の表現としての「すみません」を使うことはなかった。常に「ありがとう」とはっきり言った。