皇室を巡る「美談」は誰が語るのか?
私の経験上、皇室を巡る「美談」は、こうした側近によるレクチャーの場で語られることが多いと言える。メディア側が取材努力で探し出すというよりも、皇室側から「知らされる」のだ。皇室と宮内庁の側が報じてほしいから進んで話を提供しているわけであり、「麗しいエピソード」を絶えず求めているメディアは喜んでそれを報じる。
私自身は、こうして相手側から提供される情報によって「美談」を書くことに、なんとも言えぬ嫌悪感を覚える。期待された通りに書かされることに一種の屈辱を感じるからだ。
皇族本人と当局による「エピソード操作」がどのように行われるか。またしても平成の事例の批判になってしまうが、宮内庁の発表が発端となり、次第にストーリーが成長していった例を紹介したい。エピソードとは次のようなものだ。
2016(平成28)年9月、明仁天皇夫妻は東日本大震災の被災地である岩手県を訪問し、大槌町のホテルに宿泊した。この宿と夫妻は約20年前から縁があった。夫妻が宿泊し、浜辺に咲いていたハマギクの種子がホテル側から贈られていたのだ。夫妻はそれを皇居で育てた。震災でホテルは津波に襲われ、社長らが犠牲になった。夫妻が散策した砂浜も津波で消失した。再建をあきらめかけていた関係者らは、震災半年後の美智子皇后誕生日の際に宮内庁が公開した写真を見て驚く。皇居に咲くハマギクとそれを見る夫妻の姿が写っていた。ハマギクの花言葉は「逆境に立ち向かう」。勇気を得た関係者らはホテルの再建を決意した。夫妻がこのホテルを再訪したのはその5年後のこと。関係者と旧交を温め、今はテラスで咲くハマギクの花を観賞した。
この年の9月の前後、この物語を、メディアの多くが報道した。ホテル訪問前に紹介する社もあり、その後も、夫妻の被災地への思いを象徴する物語として何度も書かれた。このストーリーを報道各社はどうやって知ったのか。
結論から言うと、発端は、この5年前、2011(平成23)年の、宮内庁側の発表だった。皇居の写真というのは、同年10月の美智子皇后77歳の誕生日に際して公表されたものだった。