「理想的」だった中東訪問
雅子皇太子妃が皇室入り前に思い描いたであろう「皇族としての国際親善」に最も近いと思われる外国訪問は、結婚翌年の1994(平成6)年11月に実現した。
皇太子夫妻としての、中東4ヵ国歴訪である。訪問国は、サウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーン。徳仁皇太子の中東訪問は、湾岸戦争などにより2度延期された末の実現だった。
雅子皇太子妃に関してメディアの注目を集めたのは、女性としての単独での行動だった。伝統的に男女の同席が制限されるイスラム世界で、王族が催す宴も、男女別々の開催だった。皇室入りしてから1年しか経っていない雅子皇太子妃は、徳仁皇太子のサポートを受けず、たった一人で、女性だけの晩餐会に出席しなければならなくなった。
サウジアラビアでの様子を「読売新聞」は次のように書いている。
皇太子さまが同じ宮殿で開かれたアブドラ皇太子主催の晩さん会に、雅子さまは宮殿から約十キロ離れた皇太子宮邸でのハッサ皇太子妃主催の晩さん会にそれぞれ出席された。
男女別々の開催は、公式行事には原則として男女が同席しないというサウジアラビアの慣習のためだが、宴の様子も他国とは趣が異なったものだった。
皇太子さまが出席された晩さん会が始まったのは午後10時前。
民族衣装の約200人の出席者一人ひとりとあいさつを交わした後、食事に移ったが、こうした場面では恒例の乾杯やスピーチはなく、約1時間で終了。この国では飲酒が禁じられているため、テーブルの飲み物もヨーグルトだった。
一方、女性王族ら約80人が出席した雅子さまの方の晩さん会は、午後10時すぎから約2時間半にわたって続いた。サウジの女性は、日ごろアバーヤといわれる黒色のガウンで肌を隠しているが、この席では打って変わって華やかな衣装。雅子さまは元外交官らしく、英語で会話を弾ませていたという。(「読売新聞」1994年11月7日夕刊)
雅子皇太子妃の活躍ぶりを、外交関係者らは「普段接触できない女性王族との交流を深めてくれた」「王族との接触の道が開け、中東諸国が日本に十分な認識を持つようになった」と評価した。
サウジアラビアでは、当初予定になかったファハド国王への表敬訪問が実現するなど、好待遇を受けた。こうした王族との交流は、まさに皇族にしかできない外交の一つであり、雅子皇太子妃が目指した「皇族として自分を役立てる」ことの実践だったと思われる。
帰国を前にした記者会見では、大役を果たした安堵感と充実した時間を過ごせた満足感、そして何よりも確立された個人としての「自信」をのぞかせながら、中東の人々との交流を生き生きと楽しそうに語っている。「産経新聞」は、その様子を次のように報じた。