栃木が生んだNPB第1号・“愛弟子” 内山太嗣に注ぐ視線
ヤクルト4年目の今年は、栃木との交流戦前までイースタン・リーグで打率.314をマークしていて、凱旋出場となったこの日は9番・捕手でフル出場。7回には決勝タイムリーも放った “愛弟子”に「だいぶいいよ。こっち(栃木)でやってた時と全然違う。下半身も大きくなってんじゃん。とりあえず(支配下選手に)昇格しないとな。頑張れよ」と声をかける飯原は、いつの間にか指導者の顔に戻っていた。
選手兼任で指導者としての道を歩み始め、今年で5年目。2019年には初のBCリーグ優勝も経験した。年数を重ねるごとに感じるのは「自分は本当に野球が好きなんだな」ということだ。
「ぶっちゃけた話、たいへんな仕事だなっていうのはすごく思います。コーチって、やっぱり常日頃から勉強していかないといけないし、勉強しなかったら自分の経験してきたことしか伝えられない。そうなると選手も『んー』って思うでしょうし、そこら辺は常に僕は勉強してやっていこうと思ってます。現役の時って結局は自分なんですよ。今考えると、どれほど楽な仕事してたんかなって思います(笑)。もちろん自分自身に対してストイックになる部分とか、体を追い込んだりとかっていうのはあるんですけど、今は(コーチとして)それこそ一日中、選手のことを考えてたりしますからね。野球が好きじゃなかったら、たぶんできてないと思います」
そんな飯原の現在の夢。それは前々から話していたように、独立リーグの指導者として「1人でも多くの選手をNPBに送り出す」こと。さらには野球振興や、自身が生まれ育った故郷・栃木の地域振興に貢献したいとの思いもある。充実した日々を送っているように見えるが、筆者には気になることがあった。
昨年は代打で1打席。選手としてのキャリアは……?
コーチ兼外野手として独立リーグの世界に飛び込み、二足のわらじを履きながら1年目の2018年は50試合の出場で打率.309、5本塁打、2年目の2019年も38試合で打率.360、6本塁打。ところが2020年は4試合に出て6打数ノーヒットに終わると、昨年は代打として1打席立ったのみで、その後は「調整のため」との理由で選手としては練習生契約になっていた。
そして今年。球団がリリースした2022年コーチングスタッフ一覧には、成瀬善久投手総合コーチ(元ロッテ・ヤクルトほか)と吉川光夫投手コーチ(元日本ハムほか)には共にカッコ付きで「選手兼任」と書かれていたものの、「飯原誉士野手総合コーチ」にはその記載はナシ。このまま選手としてのキャリアに幕を引いてしまうのでは、との思いもよぎった。そこで本人にぶつけてみると──。
「(球団には)『50(歳)まで現役でやれ』って言われてるんです、ヘヘヘヘヘ。今でも引退はしてないです、はい。50歳までやるつもりでいます。(枠の関係で)登録してないだけで、いつでもちゃんと練習して戻る気ではいるんで。(独立リーグは)基本的には若い選手のアピールの場だと思いますけど、たとえば大差がついてファンの人たちも『うーん』ってなっちゃった時に、最後の方で打席に立つとかね。『まだやってんの? こいつ』って言われるかもしれないですけど、なんかこう、勇気を与えられるようにやりたいですね」
思いもよらず飛び出した「50歳まで現役」宣言。どうやら「引退」は杞憂に過ぎなかったようだ。まだまだコロナ禍の今、BCリーグにおいてもスタンドのファンは声を出しての応援はできない。それでも再び飯原が選手としてバッターボックスに向かうその時は、ヤクルト時代からの登場曲であるBoAの『AGGRESSIVE』に合わせて、ファンと共に心の中で叫びたい。「レッツゴー、ヤスシー!!」と──。
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