「お久しぶりです!」

 栃木県小山市の小山運動公園野球場。試合を終えたばかりの飯原誉士(いいはら・やすし)は、以前と変わらぬニコニコとした笑顔で迎えてくれた。

 2017年シーズン限りでヤクルトを退団し、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスの選手兼任コーチに就任して、早5年目。筆者がこうして直接顔を合わせるのは、栃木が日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップに進出した2019年10月以来、2年半ぶりになる。

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「やっぱり目指すべきところはNPBで、そこのチームと試合ができるっていうのはありがたいですよね、僕らからすると。選手たちもモチベーションが上がりますから」

飯原誉士野手総合コーチ  ©Tochigi Golden Braves

 飯原にとって39回目の誕生日となったこの日、4月26日の試合はヤクルトのファームとの交流戦。独立リーグでプレーする大半の選手にとっては、NPBこそが「目指すべき場所」である。試合には1対4で敗れたものの、大事なのは結果うんぬんよりも、ファームとはいえプロのレベルを肌で感じ、今後にどう生かすかだ。

指導者としての実りある日々

「選手には『自分たちが準備をしてきたことに対して、失敗というか、打てなかったら良い課題として残るし、打てたら自信になる』っていう話を常日頃からしてます。特にNPB(のチーム)との試合では、打つ打たないっていう結果より、『そういう気持ちでチャレンジしていこう』っていう感じでやってますね。今日は全体的に『打ちたい、打ちたい』っていう気持ちが強くなりすぎちゃって、なかなか良い形にはならなかったんですけど、ヒットが出た選手たちはしっかり打ててたんで、その子たちは自信になったでしょうね」

 飯原自身にとっても、指導者として実りある1日だった。相手は選手として12年間在籍したヤクルト。同じ釜の飯を食った選手はこの日の出場メンバーにはいなかったものの、コーチ時代に指導を仰いだ池山隆寛2軍監督や、現役時代に共にクリーンナップを組んだこともある畠山和洋2軍打撃コーチらと旧交を温め、情報交換も行っていた。

池山隆寛ヤクルト2軍監督(中)と談笑する飯原誉士 ©菊田康彦

「NPBっていう最高峰でやってるわけなんで、どういう練習をしてるのかなとか、こういう練習方法もあるんだとか、そういう話ができるのが僕らとしてはすごくありがたかったです。ハタケさん(畠山コーチ)の練習方法とか見て、たとえば右投げ左打ちって僕は経験してないんで、そこに対してどういうふうにアプローチしていくのかっていうのは、すごく参考になりました」

「絶対大丈夫」は「すごい良い言葉」。「僕も背中を押せるようになりたい」

 ヤクルトは昨年、髙津臣吾監督の下で日本一に輝いている。実に20年ぶりの頂点に駆け上がった古巣を、飯原はどんな思いで見ていたのだろうか?

「僕はできなかったんで、羨ましかった部分ももちろんあります。でも、一緒にやってたメンバーが多かったんで、やっぱり嬉しかったですね。だから『おめでとう』っていうのが一番です。僕も12年間いて日本一にはなってないですし、石川(雅規)さんでも初めてですもんね? そう考えると、やっぱりすごいことなんだなって思います」

 チームを日本一に導いた髙津監督は、飯原がヤクルトから戦力外通告を受けた当時の2軍監督で、去就に悩む中で親身になって相談に乗ってくれた人物でもある。その髙津監督が昨季終盤、ナインに伝えた「絶対大丈夫」という言葉には、共感するところが大いにあったという。

「すごい良い言葉だと思いますね。僕も選手に言いますもん、『絶対大丈夫だから、自信持って行ってこい』って。独立リーグって、何かしら足りないものがあるからNPBに入れずにやってる子がすごく多くて、その中で僕が何かサポートをして、背中を押せるような存在になれればいいなって、いつも思ってます」

 話の途中、1人の選手が飯原のもとへ挨拶に訪れた。かつては栃木に在籍し、現在はヤクルトの育成選手としてプレーする捕手の内山太嗣である。2018年に社会人野球のトヨタ自動車東日本から入団してきた内山は、指導者としてのスタートを切ったばかりだった飯原にとって、最初の教え子の一人。その年、育成ドラフトでヤクルトから1位指名を受け、栃木が生んだNPB選手第1号になる。