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1億7000万円の一戸建てを一括購入、週末はグアム旅行が定番…“兜町の証券マン”が“新大久保の個室ビデオ店員”になって思うこと――2021年BEST5

『今日、ホームレスになった 大不況転落編』より #2

2022/05/04
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32歳のときに板橋のマンションを一括で購入

 株屋の世界じゃ転職なんて当たり前のことだったよ。先輩に誘われて転職したのは準大手のS証券でした。契約外務員として移ったんです。S証券では特定の個人客に絞り込んだ営業に集中しました。オーナー経営者、医者、上場企業の役員なんかだね。会社の業績、個人の年収や納税額を調べ、もう片っ端から回ったよ。お金はあってもステータスのない人間は怖いんだ。どうしてもトラブルを起こしやすい。逆に社会的地位のある人は揉め事を避けるんです。おいしいお客さんなんだ。

 S証券に移って最初の年で年収は1200万円ありました。昭和50年代で年収1200万円といったらたいへんなものだよ、当時の都市銀行の役員クラスと同じだもの。

 32歳のときに板橋のマンションを買ったんだけど2000万円一括で払えたぐらいだよ。仲間と飲みに行くときだって銀座か赤坂。新橋のガード下なんて貧乏サラリーマンが行くところだと思っていました。この頃はあと4、5年稼ぐだけ稼いだらさっさと足を洗い、小さな喫茶店でも開こうなんて思っていたんだ。

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 ところがそこにやってきたのが例のバブルだよ、NTT株の上場で日本中が沸き立ったんだな。

月収は月380万円から400万円に

 NTT株はひたすら売りまくったよ。1日200本、300本も電話をかけて予約を取るんだ。なかには親兄弟に親戚の名義まで借りて30株も買ったおっさんがいたな。一時は300万円まで上がるなんて囃し立てられたものだから俺も全財産注ぎ込んだんだ。1株150万円で40株買って280万円で売り抜けた。税金を引いても4000万円儲かったからね。これに味をしめて自己売買に手を出すようになりました。

 平均株価が2万5000円を超えてからは株や投資信託の知識もロクにない家庭の主婦やOLなんかも証券会社に押し寄せてきた。こういう人は短期で売買を繰り返すからいい手数料収入になるんです。昔は架空名義の口座でも取引できたんです。個人の投資家は何らかの事情があって架空名義の口座を使うのが当たり前だった、俺の客も3割ぐらいが架空、借名の口座を使っていた。三文判を鞄に詰め込んで兜町を駆け回っていた。

 午前の取引が引けると仲間と鰻屋や天ぷら屋に繰り出したものさ。株屋は天ぷらが好きでね、昼飯に天ぷらを食うと午後の相場が上がるんだなんて他愛もないことを言って騒いでいたよ。あの頃が懐かしいや。